太平洋戦争下の1942年(昭和17)2月2日、政府の方針により、それまで政府内部で所管を異にしていた愛国婦人会(内務省)、大日本連合婦人会(文部省)、大日本国防婦人会(陸海軍省)の三団体を統合して新たに設立された婦人団体。統合のおもな理由は、三団体の競合が激しくなってきたためである。会長に皇族出身の山内禎子、政府指名の発起人には三団体以外の羽仁説子(はにせつこ)、吉岡弥生(やよい)、山高(やまたか)しげりなどの婦人運動家も加えるなど、文字どおり全婦人層を総力戦体制に動員することを目ざしたもので、「国防思想ノ普及」「家庭生活ノ整備刷新」「国防ニ必要ナル訓練」などを掲げて活動した。会員は20歳以上の日本婦人を対象とし、会員数は1年間で1900万人を超えたが、多くは強制的に加入させられたもので、婦人団体としての自主性はなかった。機関誌『日本婦人』を発行。45年6月13日に解散、国民義勇隊に統合された。
[米田佐代子]
『千野陽一著『近代日本婦人教育史』(1979・ドメス出版)』
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太平洋戦争中に戦争動員体制の確立のため,政府と軍部の主導で結成された女性団体。20歳未満の未婚者を除く女性全体を組織化。1942年(昭和17)愛国婦人会・大日本国防婦人会・大日本連合婦人会の3団体を統合して結成された。会長は山内禎子(さちこ)で会員約2000万人。機関誌「日本婦人」を刊行。出征兵士の送迎,竹槍・防空訓練などを行った。45年国民義勇戦闘隊に改編。
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… 昭和のファシズムと第2次大戦は,女性運動をつぶしまた変質させていった。明治時代の1901年に誕生した〈愛国婦人会〉,昭和に入り,31年結成の〈大日本連合婦人会〉,32年結成の〈大日本国防婦人会(国防婦人会)〉に家庭女性は組織され,これらの3団体が中心になり,1942年には〈大日本婦人会〉が発足した。これには20歳以上の女性全体が組織され,戦時中の翼賛政治を支える力になった。…
…また31年に陸軍省による大日本国防婦人会がつくられた。この官制三大婦人会の間に摩擦が生じたため,42年にこの三つが統合され大日本婦人会となった。第2次大戦後,地域の民主化を推進するために地方行政当局や占領軍民生部からの要望もあって,地域婦人会が町村を単位にして新たに結成され,その全国組織として52年に全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)が結成された。…
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