改訂新版 世界大百科事典 「土岐頼遠」の意味・わかりやすい解説
土岐頼遠 (ときよりとお)
生没年:?-1342(興国3・康永1)
南北朝時代の武将。美濃国守護土岐頼貞の次男。南北朝の動乱に際し,父頼貞とともに終始足利氏の与党として活躍し,外様の土岐氏の美濃守護保持を不動のものとした。とくに頼遠は猛将として有名で,1336年(延元1・建武3)の菊池武敏との多々良浜の戦,38年(延元3・暦応1)の北畠顕家との青野原の戦など,足利氏の浮沈をかけた合戦に大きな武功をあげた。兄頼宗(頼清)が早世したため,39年頼貞のあとをついで美濃守護となった。しかし頼遠は,42年9月光厳上皇の行列に対し,〈何ニ院ト云フカ,犬ト云カ,犬ナラバ射テ落サン〉(《太平記》)といって狼藉を働いた罪をとわれ,同年12月1日処刑された。このような事件にみられるように頼遠は,佐々木道誉などとともに南北朝時代という転換期にあらわれて,古い秩序を否定し,自分たちのつくりあげた新しい世界を謳歌した,いわゆる婆沙羅(ばさら)大名のうちでも代表的人物とされている。
執筆者:勝俣 鎮夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報