江戸前・中期の俳人。姓は服部,通称は半左衛門保英(やすひで)。初号は芦馬(ろば)。伊賀の人。木津孫次良保阿の五男で,服部家の養嗣子となり,伊賀藤堂藩に仕える。1665年(寛文5),9歳のとき芭蕉から俳諧の手ほどきを受けたという。85年(貞享2),20年ぶりに芭蕉に会い,再び俳諧に関心を抱き,3年後官を辞した。芭蕉から贈られた〈みのむしの音を聞きに来よ草の庵〉の面壁達磨(だるま)画賛にちなんで蓑虫庵(みのむしあん)(のちに些中庵(さちゆうあん)とも)と名づけた庵に住し,土芳と改号,俳諧に専念し,伊賀蕉門の中心人物となった。1702年(元禄15),芭蕉の遺語を主とした蕉風の俳論書《三冊子(さんぞうし)》を著し,09年(宝永6)には,《蕉翁句集》《蕉翁文集》《おくのほそ道》の,いわゆる〈三部書〉を書写し,芭蕉の霊前に供えた。とりわけ《蕉翁句集》は,その作年次を推定した最初の芭蕉句集といえ,研究史的にも貴重である。また,句日記《庵日記》と俳交の記録《横日記》を書きつづけ,現在,その一部分が伝存している。生涯独身を通した。〈棹鹿(さおしか)のかさなり臥せる枯野かな〉(《猿蓑》)。
執筆者:桜井 武次郎
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江戸前期の俳人。服部(はっとり)氏。通称半左衛門。名は保英(やすひで)。初号蘆馬(ろば)。伊賀上野の人。藤堂藩藩士。木津孫次良保向(やすむき)の五男で、服部家の養子となる。松尾芭蕉(ばしょう)の感化により、1685年(貞享2)ごろ致仕し、以後は蓑虫庵(みのむしあん)にこもって俳諧(はいかい)に専念し、生涯を独身で過ごした。伊賀における蕉門の中心人物として多くの人々を統率し、とりわけ91年(元禄4)の『猿蓑(さるみの)』刊行に際しては、29名もの多数の伊賀俳人の作を入集(にっしゅう)せしめた。土芳の最大の功績は芭蕉の聞書(ききがき)『三冊子(さんぞうし)』を書き残したことで、ここには芭蕉の俳論が整然と記されている。ほかに芭蕉の『蕉翁(しょうおう)句集』『蕉翁文集』『奥の細道』の三部作の完成も重要なものである。編著『庵日記(いおにっき)』『横日記』など。
[雲英末雄]
『富山奏著『伊賀蕉門の研究と資料』(1970・風間書房)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸中期の俳諧論書。蕉門の俳人,服部土芳の遺著《白さうし》《赤さうし》《忘れ水》の総称。1702‐03年(元禄15‐16)に成り,1776年(安永5)に闌更の序を付して伊賀の内神屋三四郎などから刊行された。…
※「土芳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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