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服部土芳 はっとりとほう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

服部土芳
はっとりとほう

[生]明暦3(1657).伊賀上野
[没]享保15(1730).1.18. 伊賀上野
江戸時代中期の俳人。名,保英。通称,半左衛門。別号,蘆馬など。初め木津氏,のち服部家の養子となる。伊賀蕉門の中心人物。俳論『三冊子』のほか『横日記』 (元禄~享保) ,『庵日記』 (1688~99) ,『蓑虫庵集』 (1729) など。

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デジタル大辞泉の解説

はっとり‐とほう〔‐トハウ〕【服部土芳】

[1657~1730]江戸前・中期の俳人伊賀上野の人。名は保英。通称、半左衛門。別号蓑虫庵(みのむしあん)など。もと藤堂藩士。松尾芭蕉の弟子で、伊賀蕉門の中心人物。俳論書「三冊子(さんぞうし)」を編んだほか、編著「蓑虫庵集」「横日記」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

服部土芳 はっとり-どほう

1657-1730 江戸時代前期-中期の俳人。
明暦3年生まれ。伊勢(いせ)津藩の伊賀(三重県)上野城付藩士。松尾芭蕉(ばしょう)にまなぶ。蓑虫(みのむし)庵をむすんで伊賀蕉門の中心として活躍。また芭蕉の俳論聞書(ききがき)「三冊子(さんぞうし)」をあらわした。享保(きょうほう)15年1月18日死去。74歳。本姓木津。名は保英。通称は半左衛門。初号は芦馬。編著に「庵日記」「横日記」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

服部土芳

没年:享保15.1.18(1730.3.6)
生年:明暦3(1657)
江戸前期の俳人。通称は半左衛門。伊賀国(三重県)上野の人。藤堂(津)藩の伊賀付藩士であったが致仕し,蓑虫庵を結んで隠棲。伊賀蕉門の中心人物であったが,俳壇的野心はなく,俳諧を友とし生涯を独身で過ごした。そうした人柄にふさわしく,技巧を廃した素直な作品が多い。篤実な性格で松尾芭蕉の最も忠実な門人のひとりとして知られており,芭蕉死後その作品を収集して霊前に備えた。土芳の著した『三冊子』は,芭蕉の俳論を伝える資料として極めて高い価値を有している。<参考文献>富山奏『伊賀蕉門の研究と資料』

(田中善信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

はっとりとほう【服部土芳】

1657~1730) 江戸前・中期の俳人。伊賀上野の人。名は保英。通称、半左衛門。少時より松尾芭蕉と親しみ、藤堂藩を致仕し俳諧に専念。伊賀蕉門の中心的人物で居を蓑虫庵という。編著「三冊子」「横日記」「蕉翁句集」「蕉翁文集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

服部土芳
はっとりとほう

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世界大百科事典内の服部土芳の言及

【土芳】より

…江戸前・中期の俳人。姓は服部,通称は半左衛門保英(やすひで)。初号は芦馬(ろば)。伊賀の人。木津孫次良保阿の五男で,服部家の養嗣子となり,伊賀藤堂藩に仕える。1665年(寛文5),9歳のとき芭蕉から俳諧の手ほどきを受けたという。85年(貞享2),20年ぶりに芭蕉に会い,再び俳諧に関心を抱き,3年後官を辞した。芭蕉から贈られた〈みのむしの音を聞きに来よ草の庵〉の面壁達磨(だるま)画賛にちなんで蓑虫庵(みのむしあん)(のちに些中庵(さちゆうあん)とも)と名づけた庵に住し,土芳と改号,俳諧に専念し,伊賀蕉門の中心人物となった。…

※「服部土芳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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