坂本九(読み)サカモトキュウ

デジタル大辞泉 「坂本九」の意味・読み・例文・類語

さかもと‐きゅう〔‐キウ〕【坂本九】

[1941~1985]歌手神奈川の生まれ。本名大島ひさし。バンド活動を経てソロ歌手に転身。「九ちゃん」の愛称で親しまれ、人気歌手として活躍した。代表曲「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「坂本九」の解説

坂本 九
サカモト キュウ


職業
歌手

本名
大島 九(オオシマ ヒサシ)

生年月日
昭和16年 12月10日

出生地
神奈川県 川崎市

学歴
日大横浜高卒

経歴
9番目の子どもなので“九(ひさし)”と名付けられる。昭和33年高校在学中に日劇のウエスタン・カーニバルで歌手として初舞台を踏み、エルビス・プレスリー物まね喝采を浴びた。ダニー飯田とパラダイス・キングのメンバーを経て、ソロとして独立。35年「悲しき60才」でデビュー。36年NHK「夢であいましょう」の“今夜の歌”として歌った「上を向いて歩こう」(作詞永六輔 作曲・中村八大)が大ヒット、38年には「スキヤキ」のタイトルで日本人初の全米第1位を獲得してミリオンセラー記録、世界30ケ国以上で発売されるなど世界的なスタンダードソングとなった。他にも「ステキなタイミング」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」「レットキス(ジェンカ)」などヒット曲を連発、NHK「紅白歌合戦」には36年から12回連続で出場し、43・44年には白組の司会役を務めた。一方タレントとしても活躍し、NHK「若い季節」ではコメディアン、フジテレビ「スター千一夜」では司会者としての才能も見せた。36年自身のヒット曲を映画化した「悲しき60才」で映画初出演。ニキビ跡でいっぱいの人なつこい笑顔と誠実な人柄で人気を博し、“九ちゃん”の愛称で幅広い層に親しまれた。またあゆみの箱運動や手話コンサートなど福祉活動にも熱心で、46年に結婚した女優の柏木由紀子との夫婦仲は芸能界でも評判だった。60年搭乗した飛行機の墜落事故に巻き込まれ(日航機墜落事故)、43歳の若さで亡くなった。長女の大島花子はシンガー・ソングライター、二女の舞坂ゆき子は女優として芸能界で活動し、平成12年二女との初の親子デュエットで「上を向いて歩こう」のミレニアムバージョンがリリースされた。13年には「明日があるさ」が缶コーヒーのCM曲(歌・ウルフルズ)に使われて大ヒット、サラリーマンの応援歌としてドラマにもなるなどの一大ブームとなった。

受賞
日本作曲大賞(音楽文化賞 第5回)〔昭和60年〕

没年月日
昭和60年 8月12日 (1985年)

家族
妻=柏木 由紀子(女優),長女=大島 花子(シンガー・ソングライター),二女=舞坂 ゆき子(女優)

伝記
上を向いて歌おう―昭和歌謡の自分史テレビの黄金時代星空の旅人 坂本九僕の昭和歌謡曲史テレビの黄金時代昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)―佐藤千夜子から美空ひばりへ坂本九ものがたり―六・八・九の九上を向いて歩こう 永 六輔 著,矢崎 泰久 聞き手小林 信彦 著坂本 照明 著泉 麻人 著小林 信彦 著塩沢 実信 著永 六輔 著柏木 由紀子 著(発行元 飛鳥新社文芸春秋文星出版講談社文芸春秋第三文明社中央公論社フジテレビ出版,扶桑社〔発売〕 ’06’05’03’03’02’91’90’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「坂本九」の解説

坂本 九
サカモト キュウ

昭和期の歌手



生年
昭和16(1941)年12月10日

没年
昭和60(1985)年8月12日

出生地
神奈川県川崎市

本名
大島 九(オオシマ ヒサシ)

学歴〔年〕
日大横浜高卒

主な受賞名〔年〕
日本作曲大賞(音楽文化賞 第5回)〔昭和60年〕

経歴
昭和34年高校在学中に日劇のウエスタン・カーニバルで歌手デビューし、エルビス・プレスリーの物まねで喝采を浴びた。2年後NHKテレビのバラエティ番組で歌った「上を向いて歩こう」が大ヒットし、33カ国でレコード発売。米国では「スキヤキ」の名で日本人初の全米第1位を獲得し、ミリオンセラーを記録した。その後も高度成長のまっただ中で「見上げてごらん夜の星を」「幸せなら手をたたこう」などのヒット曲を飛ばす一方、テレビや映画でも活躍、“お茶間のアイドル”となる。またあゆみの箱運動など福祉活動に熱心で、女優の由紀子夫人との夫婦仲は芸能界でも評判だった。60年日航機墜落事故で死亡。平成9年写真集「笑顔の贈り物」が出版された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坂本九」の意味・わかりやすい解説

坂本九
さかもときゅう

[生]1941.12.10. 神奈川
[没]1985.8.12. 群馬
歌手。本名は大島九 (ひさし) 。日本大学付属横浜学園高校在学中の 1958年,日劇ウエスタン・カーニバルにロカビリー歌手としてステージ・デビュー。 60年に『悲しき 60歳』『恋のホームタウン』でレコードデビュー。 61年に NHK「夢で逢いましょう」の挿入歌『上を向いて歩こう』 (永六輔作詞,中村八大作曲) を歌い,大ヒットし,英語でもレコーディングして,63年にはアメリカでも『スキヤキ』の題名で3週連続で全米人気投票1位を記録,レコードアルバム売上げ 100万枚以上に贈られるゴールデンディスクを受賞した。その他『見上げてごらん夜の星を』 (1963) ,『幸せなら手をたたこう』 (64) ,『レット・キス』 (66) など多くのヒット曲がある。愛嬌のあるニキビ顔の笑顔で「九ちゃん」と親しまれ,『坊ちゃん』 (66) などの映画や舞台でのコミカルな演技が人気を呼んだ。 85年,前例のない大惨事となった群馬県御巣鷹山の日航機墜落事故で命を落とした。

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百科事典マイペディア 「坂本九」の意味・わかりやすい解説

坂本九【さかもときゅう】

歌手。神奈川県出身。1960年《ステキなタイミング》でレコード・デビュー,NHKテレビ《夢で逢いましょう》にレギュラー出演し,1961年同番組で発表した《上を向いて歩こう》が大ヒット。同曲は《スキヤキSukiyaki》と題され,米国では100万枚のセールスを記録。その後もテレビ司会者,福祉活動などで活躍したが,日航機墜落事故に遭遇し死亡。
→関連項目中村八大

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂本九」の解説

坂本九 さかもと-きゅう

1941-1985 昭和時代後期の歌手。
昭和16年12月10日生まれ。35年「ステキなタイミング」でデビュー。「上を向いて歩こう」は欧米でも「スキヤキ」のタイトルで大ヒットした。昭和60年8月12日日航機墜落事故で死去。43歳。神奈川県出身。日大付属横浜高卒。本名は大島九(ひさし)。

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367日誕生日大事典 「坂本九」の解説

坂本 九 (さかもと きゅう)

生年月日:1941年12月10日
昭和時代の歌手;タレント
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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