20世紀日本人名事典 「坪井 玄道」の解説
坪井 玄道
ツボイ ゲンドウ
明治・大正期の体操教育者 学校体育の父。
- 生年
- 嘉永5年1月9日(1852年)
- 没年
- 大正11(1922)年11月2日
- 出生地
- 下総国東葛飾郡鬼越村(千葉県市川市)
- 経歴
- 農家の次男に生まれるが、14歳で医学を志し江戸へ出て、洋学所で英語を学ぶ。明治5年東京の師範学校教師・スコットの通訳となり、8年仙台英語学校教師を経て、11年体操伝習所が設立されると、米国人リーランドの通訳となる。その後、自ら同所の体操教師となり、普通体操の普及、戸外遊戯の紹介、体育教員の養成に努めた。19年以後は高等師範学校、高等女子師範学校、東京女子体操音楽学校の教師を歴任。最初の学校体操教授要目を立案するなど“わが国学校体育の父”といわれ、また女子体育にも力を尽くした。著書に「小学普通体操法」「新撰体操書」「戸外遊戯法」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報