デジタル大辞泉
「坪井杜国」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
坪井杜国 つぼい-とこく
?-1690 江戸時代前期の俳人。
尾張(おわり)名古屋の米穀商。松尾芭蕉(ばしょう)の弟子。貞享(じょうきょう)元年芭蕉をむかえて「冬の日」五歌仙を興行。翌年空米(くうまい)売買の罪で追放され,三河の保美(ほび)村にすむ。5年芭蕉にしたがい吉野,須磨,明石などをたずねた。元禄3年3月20日死去。通称は庄兵衛。別号に野人,野仁(のひと)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の坪井杜国の言及
【杜国】より
…江戸前期の俳人。姓は坪井,通称は庄兵衛。没したのは30歳余と推測される。名古屋御園町の富裕な米穀商で,町代を務めた。1685年(貞享2)空米(くうまい)売買の罪で御領分追放となり,三河の畠村に隠棲,のち保美村に移った。変名して南喜左衛門と称し,俳号も野仁(野人,の人)と改めた。前年の冬,名古屋連衆と巻いた《冬の日》五歌仙に示された杜国の豊かな詩才を,芭蕉はことに愛した。87年冬再度尾張を訪れた芭蕉は,杜国が三河に隠棲していることを知らされ,ただちに越人(えつじん)を伴って後戻りし,杜国を慰問した。…
※「坪井杜国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 