俳諧,紀行。芭蕉著。1709年(宝永6)刊。1冊。1687年(貞享4)10月から翌年4月にかけての,伊良湖崎,伊勢,伊賀上野,大和,吉野,須磨,明石の旅をつづった芭蕉第3番目の紀行で,旅中の54句(ほかに杜国4句)を載せる。芭蕉の紀行作品のなかで本作が特に注目されるのは,冒頭と中間2ヵ所に挿入されている文章によってである。冒頭の風雅論では,〈西行の和歌における,宗祇の連歌における,雪舟の絵における,利休が茶における,其の貫道するものは一なり。……造化にしたがひ造化にかへれとなり〉と,自己の俳諧文学の根本理念を説いており,90年(元禄3)秋に書かれた《幻住庵記》草稿と深いかかわりを持つ。また紀行論,旅論の2文は,ともに“おくのほそ道”の旅の体験を生かしたものと考えられる。貞享末年の発句と,こうしたやや後年の文章とが混在する本作が,芭蕉自身の手になる未定稿なのか,出版に際して版下を書いた乙州(おとくに)の編集によるものかをめぐっての論争に,まだ決着はついていない。だが,芭蕉自筆の旅論草稿や伊良湖崎紀行などが出現しており,しだいに乙州による編集の事実が明らかになってきている。この旅中のできごと,探丸子(たんがんし)の招請を断ったこと,あるいは杜国の蟄居事件などを通して,芭蕉の心に徐々に漂泊者意識が形成され,やがて“おくのほそ道”の旅へとつながっていくのである。
執筆者:井上 敏幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
芭蕉(ばしょう)の俳諧(はいかい)紀行。1687年(貞享4)10月江戸をたち、鳴海(なるみ)(名古屋市緑区)、保美(ほび)(愛知県田原(たはら)市)を経て郷里伊賀上野(三重県伊賀市)で越年、2月には伊勢(いせ)参宮、3月には坪井杜国(つぼいとこく)との2人旅で吉野の花見をし、高野山(こうやさん)、和歌浦(わかのうら)を経て4月8日奈良に到着、さらに大坂から須磨(すま)、明石(あかし)まで漂泊した際の紀行文で、成立年時は1690年(元禄3)晩秋から翌年夏ごろまでの間と推定される。1709年(宝永6)に河合乙州(かわいおとくに)が『笈の小文』の書名で出版して世に知られた。冒頭の風雅論のほか、紀行文論、旅行論などに芭蕉の芸術観をうかがうことのできる重要な作品である。本書は内容的にかならずしもまとまった作品とはいいがたい点があるので、未定稿説や、旅中の草稿類の乙州編集説などもある。
[久富哲雄]
『井本農一校注・訳『日本古典文学全集41 松尾芭蕉集』(1972・小学館)』▽『大礒義雄著『笈の小文(異本)の成立の研究』(1981・ひたく書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「大和紀行」「卯辰(うたつ)紀行」とも。俳諧紀行。1冊。芭蕉著。乙州(おとくに)編。1709年(宝永6)刊。旅の行程は,1687年(貞享4)10月の江戸出立から伊賀国上野帰郷,翌年3月の門人杜国(とこく)を伴っての吉野・大和巡遊,4月の須磨・明石遊覧から入京まで。芭蕉第3の紀行文で,冒頭の風雅論・紀行論は重要だが,作品全体の完成度や成立経緯に関しては諸説あって一定しない。「日本古典文学大系」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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