堀尾貫務(読み)ホリオ カンム

20世紀日本人名事典 「堀尾貫務」の解説

堀尾 貫務
ホリオ カンム

江戸時代末期〜大正期の僧侶 増上寺住職



生年
文政11年1月7日(1828年)

没年
大正10(1921)年4月25日

出生地
尾張国名古屋(愛知県名古屋市)

経歴
尾張藩士の子として生まれる。幼時より出家の志を持ち、天保3年(1832年)に寿経寺(浄土宗)の法随に従って剃髪得度。次いで弘化1年(1844年)江戸に出て芝増上寺に入り、智典師事。弘化2年(1845年)宗戒相承。その後、名古屋の寿経寺・養林寺を経て慶応3年(1867年)より高岳院の住職を務める。明治14年京都の大本山清浄華院に転じ、さらに23年には知恩寺に移った。日清戦争に際しては全国を巡って軍用金を募り、政府に寄附。その足跡は全国に遍く、説法によってその感化を受けた者は10万人以上と言われるほどで、35年には全国の宗徒に推されて芝増上寺の住職に就任。また僧職の傍らで社会福祉にも携わり、常に貧民救済に心血を注いだほか、36年の東北凶作や44年の岩手県下洪水などでも被災者の救恤に当たった。他方、教学院議員や浄土専門学校長を務めるなど、教育活動にも熱心であった。44年増上寺が火災で焼き落ちると、再建の募金活動に奔走。大正10年苦心の末に同寺本堂が完成し、棟上式挙行、その御忌法要を主導したが、高齢のため身体を壊し、間もなく入寂した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀尾貫務」の解説

堀尾貫務 ほりお-かんむ

1828-1921 江戸後期-大正時代の僧。
文政11年1月7日生まれ。浄土宗。弘化(こうか)2年江戸増上寺の智典について法をつぐ。のち郷里の尾張(おわり)(愛知県)寿経寺,京都清浄華院・知恩寺などをへて,明治35年増上寺の住職となる。貧民救済の托鉢などで社会事業にも貢献した。大正10年4月25日死去。94歳。号は総蓮社安誉住阿。
【格言など】行けといひ来とよふ声をちからにて西へおもむく身こそやすけれ(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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