堀川村(読み)ほりかわむら

日本歴史地名大系 「堀川村」の解説

堀川村
ほりかわむら

[現在地名]秦野市堀川・弥生やよい町・春日かすが

北・東は堀山下ほりやました村、南・西は堀斎藤ほりさいとう村に接する。大山道が東南端を南北に通る。北を村名の起りとされる堀が西北から東南に走る。古くは堀山下村堀斎藤村堀沼城ほりぬましろ村とともに堀四ヵ村のうち。文保二年(一三一八)二月二八日の南波多野庄公文僧覚弁請文(県史二)に「南波多野庄堀村」とある。永禄七年(一五六四)と推定される甲子一〇月晦日付の木札の小野長門掟書写(県史三)裏書に堀山下の八幡宮祭礼に奉仕する「三分之名主」の名がみえ、「河村分 久左衛門」とある。


堀川村
ふつちやーむら

[現在地名]那覇市田原たばる

小禄うるく村の西に位置し、北は田原たばる村。フッチャーと発音する。絵図郷村帳・琉球国高究帳・「琉球国由来記」のいずれにも村名はみえない。由来記に小禄うるくノ殿での稲穂祭に堀川大屋子・田原大屋子両名が神酒・麦・仙香など供物を捧げるとあり、間切集成図では小禄村の北西に村名と集落がみえる。「球陽」尚穆王四二年(一七九三)条によれば、小禄・堀川・田原の三ヵ村は一人の掟役が管掌してきたが、この年新たに田原掟を設置し田原・堀川二村を所管させたとあり、年次不詳だが小禄村から分村したことが知られる。


堀川村
ほりかわむら

[現在地名]新旭町あさひ

北は山形やまがた村、南は北畑きたばた村。明徳二年(一三九一)九月二八日の西大寺末寺帳(極楽寺文書)に「タカシマ郡新庄ノ庄ホリ川」とある。天正一一年(一五八三)八月の杉原家次知行目録(浅野家文書)の「新庄十郷」のうちに「新庄堀川」とあり、高六九一石余。寛永石高帳に高三六五石余とあり、旗本蜂谷栄正と同栄包領が一六四石ずつ、阿弥陀院領三七石余とあり、両蜂谷氏領は慶長五年(一六〇〇)以来のもの。


堀川村
ほりかわむら

[現在地名]新利根村堀川

新利根川左岸の水田地帯にあり、西は太田おおた村。中世東条とうじよう庄に属したといわれる。慶長一一年(一六〇六)仙台藩領となり、同年三月三日の常州伊達氏領地知行目録(伊達家文書)に「百九拾七石三斗五升四合 堀川」とある。元禄郷帳の村高は三三〇石余に増加するが、この間に新田開発が進んだと思われ、村内に寺内新田てらうちしんでん・堀川新田などの地名が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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