堂の前遺跡(読み)どうのまえいせき

日本歴史地名大系 「堂の前遺跡」の解説

堂の前遺跡
どうのまえいせき

[現在地名]八幡町法連寺 堂の前

酒田市の城輪柵きのわのさく遺跡の外郭東辺より一・二キロ東の水田中にあり、標高一五メートル。城輪柵遺跡と八森はちもり遺跡の中間に位置し、国指定の史跡として一部保存されている。「弘仁式」主税式断簡や「続日本後紀」承和四年(八三七)六月六日条によれば出羽国分寺は僧寺・尼寺とも存在していたが、当遺跡は城輪柵に国府が置かれた平安時代の国分僧寺に比定される。昭和四八年(一九七三)より五四年まで八次にわたる発掘調査が実施された。

最初に発見されたのは梁や長押・斗・肘木などの古建築部材を密接して埋めこんだ遺構で、一二メートルほどの方形を呈する。


堂ノ前遺跡
どうのまえいせき

[現在地名]北淡町育波 堂ノ前

海岸まで一〇〇メートルほどの標高一三メートルの台地上にある。縄文時代早期から弥生時代後期にかけての集落跡。昭和四〇年(一九六五)に台地端から奥に一五〇メートルほどの地点で、北淡中学校校地造成の際に発見された。古くは育波いくは遺跡と呼称した場合が多い。遺構の存在は確認されていないが、造成された運動場南東端が約二メートルの高さに切られ、約五〇センチの厚さの遺物包含層が確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「堂の前遺跡」の解説

どうのまえいせき【堂の前遺跡】


山形県酒田市法連寺にある古代出羽国の遺跡。日向川と荒瀬川が合流する付近、古代の遺跡が集中する微高地一角にあり、平安時代の出羽国府ではないかといわれる城輪柵(きのわのさく)跡と平安時代の官衙(かんが)風の配置をもつ八森遺跡のほぼ中間、城輪柵跡からは東約1kmの位置にある。1955年(昭和30)、大量の建築材などが発見されたことで注目された。1973年(昭和48)以降の調査によって、古建築材は低地帯における建物基壇の基礎工事のものだったことが判明した。基壇建物とその周囲の溝などは平安時代末期以降、掘立柱建物は10世紀ごろのものと推定されている。城輪柵跡や八森遺跡と相互に関連する遺構と見られ、古代出羽国を解明するうえで重要な役割を果たす史跡として、1979年(昭和54)、国指定史跡になった。JR羽越本線本楯駅から車で約16分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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