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前島密 まえじま ひそか

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美術人名辞典の解説

前島密

官僚・実業家・男爵。新潟県生。幼名は房五郎。近代的郵便制度の確立に尽力し、電話官業を制定。国字改良論者としても有名。大正8年(1919)歿、85才。

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デジタル大辞泉の解説

まえじま‐ひそか〔まへじま‐〕【前島密】

[1835~1919]官僚・政治家。越後の生まれ。郵便制度の調査のため渡英、帰国後、官営の郵便事業を創始。「郵便」「切手」などの名称を定めた。国字改良論者としても知られる。

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百科事典マイペディアの解説

前島密【まえじまひそか】

明治政府の官僚。越後の人,幼名上野房五郎。江戸に出て医学,英語などを学び,幕臣前島家を継ぐ。維新後は新政府に出仕し,郵便創業を建議,また渡英して郵便制度を調査。
→関連項目言文一致高田ローマ字運動

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前島密 まえじま-ひそか

1835-1919 明治時代の官僚。
天保(てんぽう)6年1月7日生まれ。慶応2年幕臣前島家の養子。明治4年イギリスから帰国し,駅逓頭(えきていのかみ)となり近代郵便制度の確立につとめる。14年官を辞し,15年結党された大隈重信(おおくま-しげのぶ)の立憲改進党にくわわる。19年東京専門学校(現早大)校長,21年逓信次官。貴族院議員。国字改良論者としても知られる。大正8年4月27日死去。85歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本姓は上野。通称は来輔。号は如々山翁鴻爪(こうそう)。
【格言など】治国の要は通信の快速四速に在り(「鴻爪痕」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

前島密

没年:大正8.4.27(1919)
生年:天保6.1.7(1835.2.4)
近代郵便制度を創設した明治時代の官僚,政治家。「日本郵便の父」と称される。越後国頸城郡下池部村(新潟県上越市)の豪農,上野家に生まれる。父は助右衛門,母てい。幼名房五郎,次いで来輔。弘化2(1845)年,11歳で高田藩儒・倉石典太の門に入り,13歳で江戸に出て苦学しながら医学,蘭学を学ぶ。ペリー来航により国防強化の必要性を痛感し,全国を周遊して砲台,港湾などを実地見聞する一方,砲術,操練,機関学などを学ぶ。その後,箱館で武田斐三郎の門に入り,航海術,測量法を修得,慶応1(1865)年,薩摩藩の開成学校で英語を教授する。翌年,江戸に戻り幕吏前島錠次郎の家を継いだ。兵庫奉行支配調役,遠州中泉奉行を経て明治2(1869)年,新政府に出仕。このころ,密と改名。 同3年,駅逓権正に就任した前島は,維新後も存続した江戸時代の飛脚が,遅滞,不着が甚だしいうえに高額のため,飛脚に代わる郵便事業創設を決意。イギリスから帰国した4年に駅逓頭に任ぜられ近代郵便制度を東海道~大阪間で開始し,郵便切手を発行する。翌年郵便を全国に実施,6年郵便事業の政府専掌,全国均一料金制を確立した。「郵便」「郵便切手」の名称は前島の創意。また5年,飛脚屋に陸運元会社(のち内国通運会社)の設立を勧める。14年の政変により大隈重信と共に下野して立憲改進党の結成に加わり,20年東京専門学校(早稲田大学)の校長になる。19年関西鉄道会社社長に就任したが,21年逓信次官に任ぜられ,電話交換事業の創始に貢献した。退官後,北越鉄道会社社長となり,直江津~新潟間の開通に尽力。37年貴族院議員。<参考文献>市島謙吉編『鴻爪痕』,小田岳夫『前島密』,山口修『前島密』

(藤井信幸)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

まえじまひそか【前島密】

1835‐1919(天保6‐大正8)
日本の近代的郵便制度の創始者。幼名上野房五郎。越後高田藩士の家に生まれ,江戸に出て医学,英語,航海術などを学んだ。1866年(慶応2)幕臣前島家を継ぎ,69年(明治2)明治政府に出仕した。70年租税権正と駅逓権正を兼任し,郵便創業の建議を行った。この建議に基づいて郵便事業は彼がイギリス出張中の翌71年に創業された。帰国後,駅逓頭に就任し,郵便切手の発行,郵便ポストの設置,時間を設定した業務運行を実施したが,〈郵便〉という名称も前島の考案である。

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大辞林 第三版の解説

まえじまひそか【前島密】

1835~1919) 政治家。越後の人。維新後、渡英して郵便制度を調査、「郵便」「切手」などの名称を定め日本の郵便事業を創始。国字改良論者としても知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

前島密
まえじまひそか

[生]天保6(1835).1.7. 新潟,中頸城
[没]1919.4.27. 神奈川
近代「郵便」制度の創設者。男爵。越後高田藩士上野助右衛門の次男に生れ,のち幕臣前島氏を継いだ。維新後明治政府に仕え,明治4 (1871) 年初代駅逓頭。国営,全国均一料金の「郵便」制度の基礎を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前島密
まえじまひそか
(1835―1919)

郵便制度の創始者。越後(えちご)国(新潟県)出身。天保(てんぽう)6年1月7日生まれ。本姓は上野(うえの)、通称は来輔(らいすけ)、号は鴻爪子(こうそうし)。1847年(弘化4)江戸に出て医学を修め、また、蘭学(らんがく)、英学を学ぶ。1865年(慶応1)薩摩(さつま)藩に英学教師として招かれた。1866年江戸に帰り、幕臣前島家を嗣(つ)ぐ。維新後いち早く東京遷都を明治政府に建議し、民部省、大蔵省に勤務。1870年(明治3)郵便制度調査のためイギリスに出張、翌1871年帰国後、駅逓頭(えきていのかみ)に就任、東京―京都―大阪間に官営の郵便事業を開始した。ついで量目制による料金均一主義による制度を全国に実施。「郵便」「切手」などの名称も彼の考案である。のち駅逓総官に昇進、その間地租改正などにも尽力した。明治十四年の政変で大隈重信(おおくましげのぶ)らとともに政府を去り、立憲改進党の結成に参加した。1877年東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)校長に就任。晩年は実業界に活動し、1902年(明治35)男爵。また国語国字改良論を熱心に唱えた。大正8年4月27日死去。[時野谷勝]
『前島密著『前島密――前島密自叙伝』(1997・日本図書センター) ▽郵政省編・刊『郵政百年史』(1971) ▽山口修著『前島密』(1990・吉川弘文館) ▽小林正義著『知られざる前島密――日本文明の一大恩人』(2009・郵研社)』

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世界大百科事典内の前島密の言及

【言文一致】より

…国民教育が国家によって統一的に行われようとする明治初年以前にも,幕末の柴田鳩翁(きゆうおう)の《鳩翁道話》や平田篤胤の《気吹颫(いぶきおろし)》のように講話をそのまま筆録した文章もありはしたが,一般に文章は漢文か,和漢混淆(こんこう)か,雅文か,記録書簡体かが正雅のものとして用いられ,口談とのへだたりがとくにはなはだしいものとなっていた。これを口談のがわへ一致させようという考えは,維新直前,前島密の《漢字御廃止之儀》の建白に始まり,西周(あまね),和田文その他諸家の論が起こって,1880年(明治13)ころには学者の二,三の試みも現れた。これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。…

【郵便】より

… 明治維新は生活をとりまくすべての文化を革新し,近代的な統一国家を形成しようとするものであった。その中で郵便制度の重要性に着目し,その制度創設を建議したのは,前島密の慧眼であった。1870年(明治3)租税権正になった前島は,駅逓権正兼任を命じられた。…

【郵便報知新聞】より

…明治前期の東京で発行された有力な政論新聞。1872年(明治5)に駅逓頭前島密(ひそか)が秘書の小西義敬を社主として創刊させた。駅逓寮(のちの郵便局)の組織を通じてニュースを集めるなど地方記事が充実し,また配送も迅速円滑であった。…

【ローマ字】より

…日本人にとってローマ字が問題になるのは明治維新以後,すなわち,将来の日本語の文字としてローマ字を採用すべきだという〈ローマ字(国字)論〉が唱えられて以後のことである。 前島密(ひそか)が建白書〈漢字御廃止之議〉(1867)に次ぐ〈興国文廃漢字議〉(1874)において,〈今国字ヲ用フルハ直ニ羅馬(ローマ)字ヲ用フルニ如(し)カズ〉と主張した。日本の近代化に伴う言語改革の運動がここに始まり,以後,ローマ字運動として,主として数学・物理学系の学者たちによって推し進められたが,第2次大戦後,国字改革が進むなかで,小学校にローマ字教育をとり入れることに成功した。…

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