郵便制度の創始者。越後(えちご)国(新潟県)出身。天保(てんぽう)6年1月7日生まれ。本姓は上野(うえの)、通称は来輔(らいすけ)、号は鴻爪子(こうそうし)。1847年(弘化4)江戸に出て医学を修め、また、蘭学(らんがく)、英学を学ぶ。1865年(慶応1)薩摩(さつま)藩に英学教師として招かれた。1866年江戸に帰り、幕臣前島家を嗣(つ)ぐ。維新後いち早く東京遷都を明治政府に建議し、民部省、大蔵省に勤務。1870年(明治3)郵便制度調査のためイギリスに出張、翌1871年帰国後、駅逓頭(えきていのかみ)に就任、東京―京都―大阪間に官営の郵便事業を開始した。ついで量目制による料金均一主義による制度を全国に実施。「郵便」「切手」などの名称も彼の考案である。のち駅逓総官に昇進、その間地租改正などにも尽力した。明治十四年の政変で大隈重信(おおくましげのぶ)らとともに政府を去り、立憲改進党の結成に参加した。1877年東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)校長に就任。晩年は実業界に活動し、1902年(明治35)男爵。また国語国字改良論を熱心に唱えた。大正8年4月27日死去。
[時野谷勝]
『前島密著『前島密――前島密自叙伝』(1997・日本図書センター)』▽『郵政省編・刊『郵政百年史』(1971)』▽『山口修著『前島密』(1990・吉川弘文館)』▽『小林正義著『知られざる前島密――日本文明の一大恩人』(2009・郵研社)』
(藤井信幸)
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日本の近代的郵便制度の創始者。幼名上野房五郎。越後高田藩士の家に生まれ,江戸に出て医学,英語,航海術などを学んだ。1866年(慶応2)幕臣前島家を継ぎ,69年(明治2)明治政府に出仕した。70年租税権正と駅逓権正を兼任し,郵便創業の建議を行った。この建議に基づいて郵便事業は彼がイギリス出張中の翌71年に創業された。帰国後,駅逓頭に就任し,郵便切手の発行,郵便ポストの設置,時間を設定した業務運行を実施したが,〈郵便〉という名称も前島の考案である。均一料金制の実施,郵便事業の独占,日米郵便交換条約の締結(以上1873),万国郵便連合への加入(1877),郵便貯金の創業(1875)も彼の指導による。81年に明治14年の政変で大隈重信らと下野したが,88年逓信次官に復帰し,91年電話事業を国営で創業した。東京専門学校(早稲田大学の前身)校長,関西鉄道社長にも就任した。国字改良論者としても知られ,早くも1866年に〈漢字御廃止之議〉を建議,1900年には国語調査委員長をつとめた。
執筆者:小林 正義
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1835.1.7~1919.4.27
明治・大正期の官僚・政治家・実業家。男爵。越後国生れ。旧姓上野。洋学を学び全国を周遊し,幕臣前島家を継ぐ。1869年(明治2)明治政府に仕え,イギリス留学をへて,71年駅逓頭(えきていのかみ)となる。駅逓局長・駅逓総監を歴任し,近代的な郵便事業の確立に尽力。国字・国語の改良を説き,漢字廃止論を唱えた。明治14年の政変で官を辞し,翌年大隈重信を党首とする立憲改進党の結成に参加。民間にあって東京専門学校校長・関西鉄道社長を務めたが,88年官界に復帰して逓信次官となり,電話事業の開設にあたった。晩年は貴族院議員。鉄道・海運事業にも貢献した。
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…国民教育が国家によって統一的に行われようとする明治初年以前にも,幕末の柴田鳩翁(きゆうおう)の《鳩翁道話》や平田篤胤の《気吹颫(いぶきおろし)》のように講話をそのまま筆録した文章もありはしたが,一般に文章は漢文か,和漢混淆(こんこう)か,雅文か,記録書簡体かが正雅のものとして用いられ,口談とのへだたりがとくにはなはだしいものとなっていた。これを口談のがわへ一致させようという考えは,維新直前,前島密の《漢字御廃止之儀》の建白に始まり,西周(あまね),和田文その他諸家の論が起こって,1880年(明治13)ころには学者の二,三の試みも現れた。これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。…
… 明治維新は生活をとりまくすべての文化を革新し,近代的な統一国家を形成しようとするものであった。その中で郵便制度の重要性に着目し,その制度創設を建議したのは,前島密の慧眼であった。1870年(明治3)租税権正になった前島は,駅逓権正兼任を命じられた。…
…明治前期の東京で発行された有力な政論新聞。1872年(明治5)に駅逓頭前島密(ひそか)が秘書の小西義敬を社主として創刊させた。駅逓寮(のちの郵便局)の組織を通じてニュースを集めるなど地方記事が充実し,また配送も迅速円滑であった。…
…日本人にとってローマ字が問題になるのは明治維新以後,すなわち,将来の日本語の文字としてローマ字を採用すべきだという〈ローマ字(国字)論〉が唱えられて以後のことである。 前島密(ひそか)が建白書〈漢字御廃止之議〉(1867)に次ぐ〈興国文廃漢字議〉(1874)において,〈今国字ヲ用フルハ直ニ羅馬(ローマ)字ヲ用フルニ如(し)カズ〉と主張した。日本の近代化に伴う言語改革の運動がここに始まり,以後,ローマ字運動として,主として数学・物理学系の学者たちによって推し進められたが,第2次大戦後,国字改革が進むなかで,小学校にローマ字教育をとり入れることに成功した。…
※「前島密」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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