日本歴史地名大系 「堺北庄」の解説
堺北庄
さかいきたのしよう
摂津国住吉郡
摂津国南部・和泉国北部地域に対する南朝勢の影響は正平末年頃までは強かったが、正平二四年(一三六九)南朝軍の総帥楠木正儀が足利方に帰伏したのちは北朝勢の支配が強化した。北朝の後光厳上皇は応安六年(一三七三)五月に和泉国堺浦の泊船目銭収入三年分を東大寺八幡宮修理料所に寄進しようとしたが(同月九日「後光厳上皇院宣」東大寺文書)円滑に実行されず、永和二年(一三七六)六月には摂津国堺浦の泊船目銭が寄進され、東大寺は大勧進を現地に派遣して泊船目銭の徴収に当たらせた(同月一一日「沙弥宗徹遵行状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報