多根村(読み)たねむら

日本歴史地名大系 「多根村」の解説

多根村
たねむら

[現在地名]大田市三瓶町多根さんべちようたね

円城寺えんじようじ村の東に位置し、三瓶山の北麓、三瓶川の水源域に立地する。東は出雲国神門かんど山口やまぐち村、北は小豆原あずきはら村。当地に鎮座する佐比売山さひめやま神社の文明八年(一四七六)一一月一八日の再興棟札に「安濃郡大田郷多根村」とみえ、文明四年三月四日野火により神社・仏閣や人家の多くが焼失したため再興された。願主は平朝臣多根領主宗連と代官宗兼。元亀四年(一五七三)一〇月吉日の棟札にも願主として多根若狭守平泰氏の名がみえ、在地名を名乗る多根氏の存在が知られるものの、詳細は不明。


多根村
たねむら

[現在地名]七尾市多根町

石動せきどう山中にあり、集落南方に石動山頂がみえる。千野ちの村・八田はつた村の南東に位置し、富山湾に注ぐ急流熊渕くまぶち川の水源地帯。垣内上出かみで・下出・塚田つかだ木呂佐ころさがある。たね・谷・多禰・種などとも記す。地名は多くの木の根を掘起して村を開いたことに由来するという(鹿島郡誌)。木呂佐は比佐とも記し、木呂(丸太材)を出す沢を意味するという。

天正一六年(一五八八)一〇月九日の縄打免状(桜井文書)の宛所は谷・ころさ村とあり、元和六年(一六二〇)の検地打渡状写(同文書)によると、多根・ころさ村の高二七八石余(うち四二石余は公領分)


多根村
たねむら

[現在地名]掛合町多根

東は坂本さかもと村・乙多田おつただ(現三刀屋町)、南は松笠まつかさ村・掛合村三刀屋みとや川の流域低地陣が丸じんがまる山に連なる高地からなる。村名は大国主命少彦名命が巡行の途中稲種を落した故事による。もとは種と称していたのを神亀三年(七二六)多根に改めたと伝える。「出雲国風土記」にみえる飯石郡多禰郷の遺称地。南北朝期に在地領主の大家信濃守平軍鎮が八重山やえやま神社に甲冑を寄進したという(掛合町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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