大同書 (だいどうしょ)
Dà tóng shū
中国,清末の思想家である康有為の著作。大同世界すなわちいっさいの差別や束縛から解放されたユートピア的世界とそれへ至る段階を描いた書。この世界の苦悩の原因を,国家,階級,人種,男女など九つの拘束の存在にあるとし,これらを漸次除去して制度や文化を同一平等にする世界政府を実現する。しかし,完全な自由は,神仙の学,仏学,天遊の学が盛んになり,いっさいの精神的苦悩から解放されてのちに得られる。康有為は,このような大同極致の世界を,《礼記(らいき)》礼運篇,公羊(くよう)学にもとづけ,欧米の空想的社会主義や進化論の助けを借りて展開した。その一部は1913年に公開されたが,全書10巻は1935年に刊行された。
→大同思想
執筆者:坂出 祥伸
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大同書【だいどうしょ】
中国,清末の康有為の著。その一部は1913年に公開されたが,全10巻の公刊は1935年。公羊(くよう)学説により大同世を孔子の理想社会とみ,人種・国家・家族制などを否定,社会施設の公営,民選による世界政府の設立等を説く。キリスト教,仏教,サン・シモン,オーエンらの思想を援用しつつ空想社会主義的な理想郷を描いて,清末革命家に影響を与えた。
→関連項目公羊学
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大同書
だいどうしょ
Da-tong-shu
中国,清末の思想家康有為の著。 1919年刊。春秋公羊学に基づいて,世界は拠乱世から升平世を経て,大同世に発展するという歴史観に立ち,『礼記』礼運編の大同をもとにし,西洋近代の社会観をつきまぜ,孔子に託して世界の博愛平等の理想社会観を展開した。またそれに到達する法として国別の撤廃,家族の閉鎖性の打破などを唱えている。民国初期の一部の革命家に大きな影響を与えた。
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世界大百科事典(旧版)内の大同書の言及
【今文学】より
… 最後に清代今文学を集大成したのは,[康有為]である。彼はまず劉逢禄や廖平(りようへい)(1852‐1932)の説を継承発展させて《新学偽経考》を著し,古文経書はすべて劉歆の偽作であり,孔子の〈微言大義〉は今文経にこそ記されていると論じ,ついで《孔子改制考》で,孔子を孔子教の開祖だとし,さらに《大同書》では,《礼記(らいき)》礼運篇の大同小康説と何休の張三世説とを結びつけた大同世界(ユートピア)への三段階歴史発展説を説いた。彼は,この説にもとづいて,立憲君主政体をめざす変法運動を進めて失敗に終わったが,彼の学問的成果の方は,現代でもなお意義を失っていない。…
【康有為】より
…康有為は最初日本に亡命し,ついで世界各地を遊歴し,立憲君主政体の実現を期して保皇会の設立に努力した。その間,1902年,長年構想を練っていた《大同書》を完成した。国家,私有制,家族,男女差,人種差などを廃棄した後に完全に自由平等な大同世界が到来することを説いたユートピア論である。…
【大同思想】より
…彼は中国の現状を,無量数の苦悩に満ちた拠乱世に当て,遠い未来にいっさいの苦悩から解放されて自由で公平な大同世界を想定し,そのために民衆を救済することをおのれの使命とした。彼の主著《[大同書]》には,このような世界改革のプランと道程が示されている。彼の大同思想は,私淑の弟子譚嗣同(たんしどう)の《仁学》にうけつがれているが,一方その反対派である孫文の三民主義や蔡元培の社会思想にも,大同思想が見られ,さらに,現代の毛沢東の思想にさえも,かすかながらその影響を見ることができる。…
【中国思想】より
…この派からは清朝末期に康有為が出た。彼はその《大同書》において,人類社会の最後到達点は国家・階級・人種・男女・家族の区別がない大同の世であるとした。そこには西洋思想の影響があるとしても,儒家の経典の《礼記(らいき)》礼運篇を中心に構成されたユートピア思想である。…
※「大同書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」