改訂新版 世界大百科事典 「大津道」の意味・わかりやすい解説
大津道 (おおつみち)
河内平野を東西に走る直線の古道。《日本書紀》の壬申の乱(672)の記述中にみえ,当時すでに存在していたことが明らかである。約1.9km南に,大津道と並行して走る直線古道,丹比道(たじひみち)がある。古代の大津道を踏襲したのが,近世の長尾街道である。長尾街道は,堺の大小路を基点に東へ直進し,南花田(堺市北区南花田町),阿保茶屋(松原市阿保),一津屋(松原市一津屋町),島泉(羽曳野市島泉),小山(藤井寺市小山)に至る。小山から南へ折れ,岡から再び東進し(藤井寺市岡の三差路に,元禄14年(1701)の道標あり),林(藤井寺市林),国府(こふ)(藤井寺市国府),片山(柏原市片山町),国分(こくぶ)(柏原市国分本町)をへ,田尻峠,穴虫峠をへて,当麻寺近くの長尾(奈良県葛城市)へ至った。古代の大津道は,小山から東へ直進し,允恭天皇陵古墳の北側を通り,大和川にかかる河内大橋に取りついていたらしい。したがって,古代の大津道は,約14.5kmにも及ぶ直線古道であった。大津道の名は,大津道沿いの式内大津神社(羽曳野市高鷲)に由来するとされている。しかし,大津道西端近くの式内開口神社付近に,《万葉集》にみえる〈大伴の御津〉を想定する説があり,やはり,大津道は,〈大伴の御津〉に至る道と理解すべきだろう。
執筆者:和田 萃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報