日本歴史地名大系 「大竹村」の解説
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおたけむら
吉備高原上とその谷筋に集落が散在し、上と下に大きく二分される。標高四〇〇―四五〇メートルの上大竹の
寛永備中国絵図によると高六四六石余、山崎家治先知。なお天保八年(一八三七)頃のものと推定される古帳高写(松室文書)では、慶長年間(一五九六―一六一五)の高六四六石余の内訳は田方三三五石余・二六町七反余、畑方銭三一〇貫五三文・六六町二反余。
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおだけむら
大竹村
おおだけむら
大竹村
おおたけむら
- 群馬県:安中市
- 大竹村
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおだけむら
大竹村
おおたけむら
寛永備中国絵図に村名がみえ、高四四九石余、松山藩領。正保郷帳でも同藩領、高も同前。宮林少・芝草山大の注記がある。
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおたけむら
- 大阪府:八尾市
- 大竹村
高安郡に属し、
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおだけむら
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおたけむら
- 埼玉県:川口市
- 大竹村
大竹村
おおだけむら
- 愛媛県:大洲市
- 大竹村
大洲市の中心部から東南へ四キロ、
文禄三年(一五九四)の検地帳(有友家文書)によると、田八町六反八畝一七歩、畑三六町一反三畝で、石高は両者合わせて三五三石八斗五升四合となっている。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
大竹村
おおだけむら
大竹村
おおたけむら
大竹村
おおだけむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報