大瀬甚太郎
おおせじんたろう
(1865―1944)
教育学者。加賀国(石川県)金沢に生まれる。1889年(明治22)東京帝国大学哲学科卒業。第五高等中学校教授、東京高等師範学校教授を経て、東京文理科大学(現、筑波(つくば)大学)教授、同学長となる。初め心理学、西洋史の研究から出発したが、教育学へ転じ、ヘルバルト派教育学に拠(よ)りつつ、包括的な理論を示した。また、欧米教育史の研究にも先駆的な業績を残し、堅実な学風で知られている。主著に『教育学』(1891)、『欧洲(おうしゅう)教育史』(1917)がある。
[三原芳一]
『藤原喜代蔵著『明治・大正・昭和教育思想学説人物史 第1巻 明治前期篇』(1942・東亜政経社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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大瀬 甚太郎
オオセ ジンタロウ
大正・昭和期の教育学者
- 生年
- 慶応1年12月24日(1866年)
- 没年
- 昭和19(1944)年5月29日
- 出生地
- 石川県金沢
- 学歴〔年〕
- 東京帝大文科大学〔明治19年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士
- 経歴
- 東大でヘルバルト学派のハウスクネヒトの指導を受けた。明治26年から約4年間、ドイツ、フランスに留学、欧米の教育学説を研究、帰国後、東京高等師範学校教授に就任。昭和4年創設された東京文理科大学教授となり、教育学を担当、後学長となった。欧米の教育学説を紹介、日本における欧米教育史研究の体系化に努めた。著書に「欧州教育史」「教育学講義」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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大瀬甚太郎
おおせじんたろう
[生]慶応1(1865).金沢
[没]1944. 東京
教育学者。東京帝国大学文科大学で哲学を修める。在学中 E.ハウスクネヒトの教育学講義を聴講。 1892年留学,ベルリン,ライプチヒ,イェナ,パリの諸大学で教育学,心理学を研究。 97年帰国して東京高等師範学校教授。 1929年東京文理科大学教授,同学長兼東京高等師範学校長に就任。 34年退官。 J.ヘルバルト,F.シュライエルマッハー,P.ナトルプ,J.デューイ,G.ケルシェンシュタイナーなど欧米教育学者の所説の中正な紹介に努めた。著書『教育学』 (1891) ,『実用教育学』 (1905) ,『欧米教育史』 (25) など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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大瀬甚太郎 おおせ-じんたろう
1866*-1944 明治-昭和時代前期の教育学者。
慶応元年12月24日生まれ。明治26年からドイツ,フランスに留学。東京高師教授をへて,昭和4年東京文理大教授,のち学長。ヨーロッパの教育史・教育学を研究し,「欧州教育史」をあらわした。昭和19年5月29日死去。80歳。加賀(石川県)出身。帝国大学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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大瀬 甚太郎 (おおせ じんたろう)
生年月日:1865年12月24日
大正時代;昭和時代の教育学者。文学博士;東京文理科大学学長
1944年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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