大英寺(読み)だいえいじ

日本歴史地名大系 「大英寺」の解説

大英寺
だいえいじ

[現在地名]騎西町騎西

私市きさい城跡南方にある。崇亀山正応院と号し、浄土宗本尊阿弥陀如来。元禄八年(一六九五)の浄国寺末山支配由緒記(浄国寺文書)、享保一三年(一七二八)の松平周防守御家譜大英寺記(埼玉叢書)によれば、天正一九年(一五九一)、私市城主松平康重が父康親の菩提寺として駿河国三枚橋さんまいばし(現静岡県沼津市)から移転し、円蓮社満誉玄道を開山に招請して一寺を建立、寺領三〇石を寄進したと伝える。


大英寺
だいえいじ

[現在地名]長野市松代町柴町

皓月山と号し、本尊阿弥陀如来。知恩院末。浄土宗。藩主真田信之が夫人大蓮院殿英誉皓月大禅定尼の菩提を弔うため、初め小県ちいさがた郡諏訪部の常福寺跡へ元和六年(一六二〇)建立。元和八年真田氏の松代移封に伴い、七堂伽藍を現在地に移して再建。信之夫人は本多忠勝の娘であり家康養女となって信之に嫁した関係で、慶安二年(一六四九)幕府より寺領一〇〇石の寄進があった。住持乗輿して将軍に謁見する待遇を与えられた。宝永七年(一七一〇)本堂等破損のため、全部を再建したが、享保一九年(一七三四)火災のため焼失、寛保元年(一七四一)再建した。明治維新で上知禄高減少のため、堂宇を取り崩し、大蓮院殿の霊屋を本堂とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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