おおたに‐ひろじ【大谷広次】
- 江戸の歌舞伎俳優。立役。
- [ 一 ] 初世大谷広右衛門の子。屋号、丸屋。俳名、十町。「せり出し」や「引き抜き」を考案。当たり芸は「大森彦七」「鬼王」など。元祿八~延享四年(一六九五‐一七四七)
- [ 二 ] 二世。敵役の初世中村助五郎とのコンビで十町(じゅうちょう)・魚楽(ぎょらく)と呼ばれた。河津・股野の相撲の狂言で有名。享保二~宝暦七年(一七一七‐一七五七)
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大谷広次(治) (おおたにひろじ)
歌舞伎役者。(1)初世(1696-1747・元禄9-延享4) 前名大谷広次郎。俳名十町。屋号丸屋。通称大十町。初世大谷広右衛門の子。1701年(元禄14)冬,江戸森田座で初舞台を踏み,のち芝神明の芝居で修業。11年(正徳1),2世市川団十郎から荒事の芸を譲られ,以来,嫌味がなく,小気味のよい実事の芸風を開拓。一方,17年(享保2)夏末,江戸市村座の《国性爺》に水がらくりを用いたり,27年冬,江戸中村座の《八棟(やつむね)太平記》で雪中のセリ出しを試みたり,31年春,同座の《傾城福引名護屋》では,立回りのうちに,世話から時代へと衣装を変える引抜きを工夫するなど,演出面にもさまざまな創意を見せた。(2)2世(1717-57・享保2-宝暦7) 初名辰松文七。前名大谷文蔵。3世坂東又太郎,初世大谷鬼次。俳名東洲,十町。屋号駿河屋。通称中の十町,駿河屋十町。人形遣い辰松武左衛門の子。初めは人形遣い,のち初世に入門。1748年(寛延1)11月襲名。(3)3世(1740(46?)-1802・元文5(延享3?)-享和2) 初名米山徳五郎。前名初世大谷春次,2世大谷鬼次。俳名東洲,十町。屋号丸屋。通称丸屋十町。2世の門弟。1762年(宝暦12)11月襲名。(4)4世 生没年・襲名年月不詳。初名大谷広五郎。前名4世大谷鬼次。別名大谷十町。俳名十町。屋号丸屋。3世の養子。一説に,襲名しなかったともいう。(5)5世 5世大谷友右衛門の後名。1870年(明治3)正月襲名。
執筆者:今尾 哲也
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大谷広次(2代)
没年:宝暦7.6.2(1757.7.17)
生年:享保2(1717)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名十町,東洲。屋号駿河屋。人形遣い辰松武左衛門の子。初代広次に入門。いったん人形遣い辰松幸助の弟子として修業ののちに,広次門下に戻る。しかし元文1(1736)年には再び師の門を出て市村竹之丞(8代目羽左衛門)の門人となって3代目坂東又太郎を名乗った。寛保3(1743)年広次と「和談とゝのひ」(『古今役者大全』)再入門して大谷鬼次を名乗り,師の没年の翌寛延1(1748)年に2代目広次を襲名した。以後,先代譲りの豪快な芸風で人気を得,特に曾我狂言の河津三郎役では,股野五郎役の初代中村助五郎との名コンビを「助・広次」「魚楽・十町」と対に謳われた。広次の名は明治期の5代まである。
大谷広次(初代)
没年:延享4.5.25(1747.7.2)
生年:元禄9(1696)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名十町,屋号丸屋。初代大谷広右衛門の子。江戸生まれ。元禄14(1701)年初舞台。享保4(1719)年には評判記で立役上上吉に位付けされる。その活躍ぶりから2代目市川団十郎,初代沢村宗十郎,初代坂東彦三郎らと共に立役の四天王と呼ばれ,人気があった。曾我狂言の鬼王や朝比奈,あるいは男伊達(侠客)などの役を得意とする大柄な芸風を見せる一方,せり出し(1727),衣裳の引き抜き(1731)を工夫するなど,演出面での功績も残した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
大谷広次(初代) おおたに-ひろじ
1696-1747 江戸時代中期の歌舞伎役者。
元禄(げんろく)9年生まれ。初代大谷広右衛門の子。元禄13年初舞台。立役(たちやく)として人気を得,享保(きょうほう)12年「八陣太平記」で2代市川団十郎の相手役で荒事(あらごと)を演じ評判となった。「せり出し」「引き抜き」の創始者とされる。延享4年5月25日死去。52歳。江戸出身。俳名は十町。屋号は丸屋。
大谷広次(2代) おおたに-ひろじ
1717-1757 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)2年生まれ。人形遣い辰松武左衛門の子。はじめ父の仕事をこころざしたが,初代大谷広次の門弟となり,寛延元年2代を襲名。実事(じつごと),荒事(あらごと)を得意とした。宝暦7年6月2日死去。41歳。前名は大谷文蔵,坂東又太郎(3代),大谷鬼次(初代)。俳名は十町。屋号は駿河屋。
大谷広次(3代) おおたに-ひろじ
1746-1802 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
延享3年生まれ。宝暦5年2代大谷広次の門弟となり,12年3代を襲名した。実事(じつごと),男達(おとこだて)などを得意とした。享和2年5月11日死去。57歳。初名は米山徳三郎。前名は大谷春次(初代),大谷鬼次(2代)。俳名は本洲,十町。屋号は丸屋。
大谷広次(4代) おおたに-ひろじ
?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
3代大谷広次の養子。寛政2年(1790)江戸中村座で初舞台。11年4代大谷鬼次をつぐ。若立役(わかたちやく)として人気をえたが大成せず,4代広次を襲名して旅興行中没したといわれる。初名は大谷広五郎。俳名は十町。屋号は丸屋。
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