大高坂芝山(読み)おおたかさかしざん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大高坂芝山」の意味・わかりやすい解説

大高坂芝山
おおたかさかしざん
(1649―1713)

土佐南学(とさなんがく)派の儒者谷一斎(たにいっさい)(1625―1695)の門に学んだ朱子学者。先祖は土佐の大高坂城主であった。自己の才学に自負するところ高く、『先哲叢談(せんてつそうだん)』には「気豪宕(ごうとう)自ら視(み)ること甚だ高く毎(つね)に好んで時輩(じはい)を排斥す」と記されているが、彼の批判の対象となった者に伊藤仁斎(いとうじんさい)、山鹿素行(やまがそこう)、深草元政上人(ふかくさのげんせいしょうにん)、木下順庵(きのしたじゅんあん)、朱舜水(しゅしゅんすい)、陳元贇(ちんげんぴん)らがいる。内藤左京大夫(さきょうのだいぶ)、稲葉正則(いなばまさのり)(1623―1696)に歴仕し、最後は松山藩主松平(久松)定直(さだなお)(1660―1720)に仕えた。その思想は、宋学(そうがく)に基づいて存養下学(そんようかがく)(自分の身に手近かなことから学びながら、生まれながらの善性を養うこと)の功を積むことによって天人合一の境地に至ることを目ざすものである。土佐南学の復興を願い、『南学伝』2巻を著す。ほかに『芝山会稿』『高松子(こうしょうし)』『適従録(てきじゅうろく)』『存一書(そんいつしょ)』『余花編(よかへん)』などの著作がある。

[源 了圓 2016年4月18日]

『寺石正路著『南学史』(1934・冨山房)』『糸賀国次郎著『海南朱子学発達の研究』(1935・成美堂書店)』『原念斎著、小柳司気太校注『先哲叢談』(1936・春陽堂書店・大日本文庫/平凡社・東洋文庫)』

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朝日日本歴史人物事典 「大高坂芝山」の解説

大高坂芝山

没年正徳3.5.2(1713.5.25)
生年正保4(1647)
江戸時代前期の南学派の儒者。「おおだかさ」とも。名は清介,字は季明,芝山は号で,清処士などとも号した。土佐の人。姉婿谷一斎に朱子学を学び,野中兼山の失脚後,一斎に従って上京,のち江戸に移った。儒をもって内藤,稲葉,久松の諸侯に仕え,江戸で没した。道学に任じて南学派の道統を明らかにし異学異端を排斥したが,また詩文にも長じた。自ら居ること高く,『適従録』で伊藤仁斎,山鹿素行などを激しく非難した。妻維佐子は『唐錦』の著者。<著作>『適従録』『南学伝』『南学遺訓』<参考文献>寺石正路『南学史』,糸賀国次郎『海南朱子学発達の研究』

(高橋文博)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大高坂芝山」の解説

大高坂芝山 おおだかさ-しざん

1647-1713 江戸時代前期の儒者。
正保(しょうほ)4年1月23日生まれ。義兄の谷一斎に南学をまなび,稲葉正則らにまねかれたのち,貞享(じょうきょう)2年伊予(いよ)松山藩主松平定直につかえる。詩文もよくした。正徳(しょうとく)3年5月2日死去。67歳。土佐(高知県)出身。名は清介。字(あざな)は季明。別号に喬松,一峰,黄軒。姓は「おおたかさか」とも。著作に「芝山会稿」「適従録」など。

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367日誕生日大事典 「大高坂芝山」の解説

大高坂芝山 (おおたかさかしざん)

生年月日:1647年1月23日
江戸時代前期;中期の伊予松山藩士;土佐藩士;南学派の儒者
1713年没

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