コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

南学 なんがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南学
なんがく

天文 17 (1548) 年南村梅軒により南海の地土佐に興った朱子学派。海南学派ともいう。京学,東学に対する称。四書を重んじ,道学者的態度を固持するとともに実践躬行を尊び,実際政治に参与した。梅軒のあと,吸江庵の忍性,宗安寺の如淵,雪蹊寺の天室らを経て,谷時中にいたって仏教から完全に独立し,基礎を固めた。その門人に野中兼山小倉三省山崎闇斎が出た。のち三省の門下から,谷一斎長沢潜軒大高坂芝山らが出,また闇斎の門弟,谷秦山が帰国して,南学を振興した。人間系譜は以上のようにたどれるものの,三省が世を去り,兼山が失脚して藩府より南学派は弾圧を受けて両人の門人や闇斎も土佐を去り,土佐における南学派は一時中絶した。秦山が復興した教学は三省,兼山までの本来の南学と質を異にし,京,江戸の学風の移入とみることができる。もっとも秦山は大義名分論に立つ尊王思想を説き,幕末勤王運動に影響を与えたが,こうした政治と結びついた強い実践性の点では,広い意味での南学は一貫している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

南学【なんがく】

(1)中国,魏晋南北朝時代の南中国での学問傾向。北朝の北学の対。魏晋時代の老荘思想玄学を継承した。抽象的な原理追究が特徴で,王弼(おうひつ)の解釈による経学が典型。
→関連項目雪蹊寺土佐国

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

大辞林 第三版の解説

なんがく【南学】

土佐に興隆した朱子学の一派。戦国末期の南村梅軒に始まり、江戸初期に谷時中が学風をかため、門人に小倉三省・野中兼山・山崎闇斎らが輩出した。実践躬行きゆうこうを重んじる。海南学派。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南学
なんがく

近世初期、海南の地土佐(とさ)(高知県)に発達した宋学(そうがく)(朱子学)を南学(または海南学派)という。この地方における宋学の興起は、天文(てんぶん)年間(1532~55)、大内義隆(よしたか)の御伽衆(おとぎしゅう)であった南村梅軒(みなみむらばいけん)が土佐に移って弘岡(ひろおか)城主吉良宣経(きらのぶつね)に朱子学を教えたことに始まる。宣経の死後、梅軒の学は吸江庵(きゅうごうあん)の忍性(にんしょう)、宗安寺(そうあんじ)の如淵(じょえん)、雪蹊寺(せっけいじ)の天室(てんしつ)(天質)らの禅僧に受け継がれ、さらに天室門下の谷時中(たにじちゅう)によって世俗世界にもたらされた。その後、時中門下の野中兼山(けんざん)、小倉三省(おぐらさんせい)(1604―54)、山崎闇斎(あんさい)の手によって、南学は禅から完全に離れ、現実社会の実践的指導理念として土佐藩で力をもつに至った。小学(しょうがく)や文公家礼(ぶんこうかれい)の重視という点に日本の他の朱子学にみられない特色がある。兼山の失脚後この学派の人々は四散したが、谷秦山(しんざん)が出るに及んでまた土佐の地によみがえった。[源 了圓]
『大高坂芝山著『南学伝』(関儀一郎編『日本儒林叢書 第三巻』所収・復刊・1971・鳳出版) ▽寺石正路著『南学史』(1934・冨山房) ▽糸賀国次郎著『海南朱子学発達の研究』(1935・成美堂書店) ▽和島芳男著『日本宋学史の研究』(1962・吉川弘文館) ▽横川末吉著『野中兼山』(1962・吉川弘文館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の南学の言及

【谷時中】より

…土佐の人。初め仏門に入ったが,のち海南朱子学(16世紀の中ごろ,南村梅軒が土佐に伝えたといわれる儒学)の天室に従って儒学を学び,ついに儒者として朱子学を土佐に唱え,当時これを南学と称した。野中兼山,山崎闇斎らがその教えを受け,単に土佐海南朱子学の確立者たるのみならず,日本近世朱子学の首唱者となる。…

【土佐国】より

…文芸では五山文学の双璧とされる義堂周信,絶海中津,これを継いだ旭岑瑞杲(別号待雨)などがある。ただ南学の祖として喧伝される南村梅軒は,大高坂芝山の捏造(ねつぞう)した架空の人物である。美術工芸品としては金剛頂寺,妙山寺,金林寺,禅師峯寺,竹林寺,雪蹊寺,宗安寺,大平寺などに鎌倉・室町期の仏像,仏具,仏画などが残されており,建築では長宗我部元親修造の国分寺金堂,土佐神社社殿がある。…

【春野[町]】より

…北に吉良ヶ峰(きらがみね)(249m)を負い,南に弘岡平野が開ける弘岡上に,戦国期土佐七雄の一人に数えられた吉良氏の居城吉良城(弘岡城)があった。吉良氏は周防山口から南村梅軒を迎えてその講学を聴いたといい,南学(海南朱子学)発祥の地と伝えられる。江戸初期,野中兼山によって仁淀川東岸に4里に及ぶ弘岡井筋が築かれ,高知城下への物資輸送と吾川郡南部の灌漑に大きく機能,弘岡平野を土佐屈指の農業地帯とした。…

※「南学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

南学の関連キーワード寺石 正路春野[町]四書五経吉良宣経寺石正路山内豊敷山内豊房活貧党日新館土佐藩南学伝弘岡

今日のキーワード

隗より始めよ

《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

南学の関連情報