天保暦(読み)てんぽうれき

デジタル大辞泉の解説

てんぽう‐れき【天保暦】

日本で最後の太陰太陽暦。天保13年(1842)改暦が決まり、弘化元年(1844)から明治5年(1872)の太陽暦採用までの約30年間用いられた。天保壬寅元暦(てんぽうじんいんげんれき)。

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世界大百科事典 第2版の解説

てんぽうれき【天保暦】

1844年(弘化1)に施行され72年(明治5)末まで29年間用いられた。作者は渋川景佑,足立信頭らである。景佑は信頭の協力を得て父高橋至時の遺業である《ラランデ暦書管見》の翻訳を完成した。天保暦はこの訳本である《新巧暦書》をおもに参酌して作られたもので,中国の暦書ではなく西洋天文学を直接利用し中国暦の水準を初めて超えたとして評価されている。その暦理は《新法暦書》9巻とその続編30巻に詳述されている。

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大辞林 第三版の解説

てんぽうれき【天保暦】

日本最後の太陰太陽暦。1842年渋川景佑らにより編せられ、44年より72年(明治5)の太陽暦採用まで行われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天保暦
てんぽうれき

日本最後の太陰太陽暦法、またそれにより編纂(へんさん)された暦本をいう。天文方渋川景佑(かげすけ)らが幕府から改暦の命を受け、1842年(天保13)『新巧暦書』に基づき『新法暦書』九巻を完成、陰陽頭安倍晴雄からこれを進献して「天保壬寅元暦(てんぽうじんいんげんれき)」の名を賜り、1844年(弘化1)から施行された。日本で初めて定気法を採用した。1873年(明治6)太陽暦が施行されるまで29年間行われた。[渡辺敏夫]

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世界大百科事典内の天保暦の言及

【暦】より

…彼はその功績によって最初の天文方(てんもんかた)に登用された。貞享暦以後は宝暦暦寛政暦と次々改められ,1844年(弘化1)より最後の太陰太陽暦である天保暦が施行された。天保暦は実施された太陰太陽暦として歴史上もっとも精密なものといわれ,当時中国で用いられていた時憲暦よりも水準は上であると評されている。…

【二十四節気】より

…節のほうが生活に密着していたのである。 1844年(弘化1)より天保暦が施行されたが,このときから二十四節気に定気法を採用した。定気法を用いると太陽の動きの遅い6,7月ころ,例えば夏至から大暑までの30゜の間をいくのに31日と11時間もかかるのに,冬至から大寒まで黄道上,同じ30゜をいくのに29日と10時間しかかからず平均朔望月より短くなる。…

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