日本大百科全書(ニッポニカ) 「天童山」の意味・わかりやすい解説
天童山
てんどうさん / ティエントンシャン
中国、浙江(せっこう)省寧波(ニンポー)府鄞(ぎん)県の東方にある山。太白山(たいはくさん)ともいう。太白山の名は、晋(しん)の義興(ぎこう)がこの地に住したとき、太白星(金星)が現れて童子となり、薪水を供したことにちなむとされる。また唐の法璿(ほうせん)禅師がここで『法華経(ほけきょう)』を誦(じゅ)したおり、太白星がふたたび童子となって現れ進供したことにより天童山とよばれるようになったという。山中には天童山景徳(けいとく)禅寺(別称、太白山天童景徳寺)があり、304年義興の開創と伝える。唐の732年法璿が乳峰下の東澗(とうかん)(古天童といわれる)に太白精舎(しょうじゃ)を造したが山崩れにあい、757年義興の旧庵地に住した。759年には天童玲瓏(れいろう)寺、869年には天寿(てんじゅ)寺、宋(そう)の1007年には景徳寺の各勅額を下賜された。また1129年には宏智正覚(わんししょうがく)(天童正覚)が16世住持となって禅風を挙揚して、五山の一に数えられた。その後、禅宗道場として虚菴懐敞(きあんえしょう)、長翁如浄(ちょうおうにょじょう)(天童如浄)らが住したが、その時期にわが国の栄西(えいさい)、道元(どうげん)が入山して受法、またのちに寒巌義尹(かんがんぎいん)や徹通義介(てっつうぎかい)も入寺して嗣法(しほう)したことは有名である。元の1301年には千仏閣が増築され、元宝閣の額が下賜された。さらに明(みん)の1392年には寺号をふたたび天童寺と改め、禅宗五山の第三位に列せられ、清(しん)の1659年には弘法の寺号を賜り、天童弘法寺と称した。天王殿、仏殿、法堂など20余棟の堂宇や七層楼などがあり、南方の四明第一の名山名刹(めいさつ)と称される。
[里道徳雄]