金沢実時(読み)カネザワサネトキ

デジタル大辞泉 「金沢実時」の意味・読み・例文・類語

かねざわ‐さねとき〔かねざは‐〕【金沢実時】

北条実時

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精選版 日本国語大辞典 「金沢実時」の意味・読み・例文・類語

かねざわ‐さねとき【金沢実時】

  1. ほうじょうさねとき(北条実時)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金沢実時」の意味・わかりやすい解説

金沢実時(かねさわさねとき)
かねさわさねとき
(1224―1276)

鎌倉中期の武将。父は金沢流北条実泰(さねやす)。掃部助(かもんのすけ)、従(じゅ)五位下越後守(えちごのかみ)。1234年(文暦1)10歳で小侍所別当(さむらいどころべっとう)に就任。引付衆(ひきつけしゅう)、評定衆(ひょうじょうしゅう)、引付頭人(とうにん)、越訴奉行(おっそぶぎょう)を歴任執権(しっけん)北条泰時(やすとき)の信頼が非常に厚く、「諸事実時に相談して両人水魚の思いを成すべし」と泰時が次代執権経時(つねとき)に命じたといわれるほどであった。経時、時頼(ときより)、時宗(ときむね)と、3代執権の補佐をし、幕府の諸事を取り仕切った。また、しだいに幕府の枢要な機構となる得宗(とくそう)私邸の秘密会議(後の寄合衆(よりあいしゅう))にも参加し、寛元(かんげん)の乱(1246)、宝治合戦(ほうじかっせん)(1247)や二月騒動(1272)などの収拾処理にあたった。晩年、所領武蔵国(むさしのくに)六浦荘(むつらしょう)金沢郷に称名寺(しょうみょうじ)を建立。これにより称名寺殿ともよばれる。好学にして和漢書を多数書写校合(きょうごう)して収集。金沢文庫の基礎をつくった。

[奥富敬之]



金沢実時(かなざわさねとき)
かなざわさねとき

金沢実時

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改訂新版 世界大百科事典 「金沢実時」の意味・わかりやすい解説

金沢実時 (かねさわさねとき)
生没年:1224-76(元仁1-建治2)

鎌倉中期の武将。北条実泰の子,執権義時の孫にあたる。官位は越後守,従五位上。幕府の小侍所別当,引付衆,評定衆,引付頭,越訴奉行(おつそぶぎよう)などを歴任。1275年病により自領の武蔵国六浦(むつら)荘金沢の館に引退し,翌年10月没した。武芸とくに騎射に優れたが,学問にも早くから関心をよせ,儒家清原教隆に師事して経史,律令を学び,これを政道に生かすことにつとめたが,勉学の範囲は政治,法制にとどまらず農政,軍学,文学の分野にも及んだ。その書写校合,収集したたくさんの和漢の書物は金沢に引退したおり鎌倉から移され,金沢文庫の基をつくった。また金沢の居館に隣接した東谷に阿弥陀堂を建立して父母の菩提を祈ったが,のち西大寺叡尊に帰依して67年(文永4)これを律院称名寺と改め,発展させた。現在の称名寺の本尊弥勒菩薩立像(建治2年銘,重文)は実時の発願により造立されたものであろう。墓所は同寺境内の山腹にある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金沢実時」の意味・わかりやすい解説

金沢実時
かねさわさねとき

[生]元仁1(1224)
[没]建治2(1276).10.23. 武蔵,六浦
鎌倉時代中期の武将。北条義時の孫で実泰の子。武蔵六浦荘金沢に別荘を営み,金沢殿などと呼ばれた (金沢が家名となるのは孫貞顕のとき) 。文暦1 (1234) 年小侍所別当となって以来,引付衆,評定衆,越後守,引付頭人,越訴奉行などを歴任,執権経時,時頼,時宗を補佐した。学問を好み,儒者清原教隆に師事し,みずから『群書治要』など多くの書物の収集,書写,校合に努め,これらの書物をもとに別荘内に文庫を創設した。これが金沢文庫の始りである。一方,崇仏の心も深く,称名寺を建てて称名寺殿とも称され,西大寺長老叡尊を鎌倉に招請したりした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「金沢実時」の解説

金沢実時
かねざわさねとき

1224~76.10.23

鎌倉中期の武将。越後守。父は北条義時の子実泰。1234年(文暦元)11歳で小侍所別当に就任し,以後歴代の将軍に近侍する一方,52年(建長4)引付衆,翌年評定衆に加わり,幕政の中枢にあった。学問を好み,将軍宗尊親王に従って関東に下った儒者清原教隆について勉学に励み,和漢の書籍を書写・収集した。膨大な書籍は,所領の武蔵国六浦荘(むつらのしょう)金沢に建てられた別邸内の文庫に収められ,金沢文庫のもととなった。西大寺の叡尊(えいぞん)に深く帰依し,鎌倉に招いて北条時頼とともに受戒。67年(文永4)には念仏寺院の称名寺を律宗に改めた。

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百科事典マイペディア 「金沢実時」の意味・わかりやすい解説

金沢実時【かねさわさねとき】

鎌倉時代の武将。北条氏の一門で実泰の子。北条義時の孫に当たる。幕府の小侍所(こさむらいどころ)別当,引付衆,評定(ひょうじょう)衆などを歴任,執権北条泰時・時頼を補佐した。学問を好み,多くの書物を収集・書写し,武蔵六浦(むさしむつら)荘金沢に文庫を設けて収蔵したのが金沢文庫の始まりである。
→関連項目太田荘

金沢実時【かなさわさねとき】

金沢(かねさわ)実時

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金沢実時」の解説

金沢実時 かねざわ-さねとき

1224-1276 鎌倉時代の武将。
元仁(げんにん)元年生まれ。金沢(北条)実泰の子。小侍所別当,引付衆,評定衆,越後守(えちごのかみ),越訴(おっそ)奉行など幕府の要職を歴任。また学問をこのみ,儒者清原教隆に師事。武蔵(むさし)金沢(神奈川県)に称名寺をたて,境内に文庫をもうけて典籍の収集・書写・校訂につとめ金沢文庫の基礎をきずいた。建治(けんじ)2年10月23日死去。53歳。

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旺文社日本史事典 三訂版 「金沢実時」の解説

金沢実時
かねさわさねとき

北条実時

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世界大百科事典(旧版)内の金沢実時の言及

【金沢文庫】より

…鎌倉中期,金沢実時によって創設された文庫。武蔵国久良岐郡六浦(むつら)荘金沢郷(現,横浜市金沢区金沢町)の居館敷地内に設けられた。…

【称名寺】より

…山号は金沢山。1260年(文応1)金沢(かねさわ)(北条)実時が建立。当初は母の菩提を弔うための念仏系の寺であったという。…

【図書館】より


[中世,近世]
 下っては,金沢(かねさわ)文庫足利学校が日本図書館史上重要である。金沢文庫は13世紀後半,金沢実時によって創設された文庫で,とりわけ3代貞顕の集書努力により大いに充実した。金沢氏滅亡後は菩提寺である称名寺の管理にゆだねられた。…

※「金沢実時」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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