日本歴史地名大系 「太田黒田遺跡」の解説
太田黒田遺跡
おおだくろだいせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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JR和歌山駅のすぐ東方,和歌山市太田から南黒田にかけて所在し,弥生時代から古墳時代,奈良・平安時代を経て,中・近世にまでおよぶ大規模な集落遺跡。区画整理事業に先立ち,1968年から3次にわたる発掘調査を行い,特に東西400m,南北500mの規模の弥生時代前期からの集落が明らかとなった。遺構には竪穴住居,溝,井戸,土壙墓などがあり,出土遺物も土器,石器をはじめ多種・多量におよんでいる。なかでも石の舌をもった銅鐸は,平野の集落から出土した前例の少ないもので,銅鐸の使用と埋納場所の関係を知るうえで貴重である。ほかに小型内行花文鏡も出ている。土器では,弥生時代前期の甕に共伴して縄文時代晩期の系統をひく深鉢が出土し,さらに弥生時代中期でも,甕はほとんどこの縄文系のものによって占められていることが判明した。
執筆者:工楽 善通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…和歌山県北西端,紀伊水道に臨む県庁所在都市。人口39万3885(1995)。16世紀末,豊臣秀吉が紀ノ川河口付近に築いた和歌山城の城下町が都市としての起源で,浅野氏を経て,17世紀前半に入国した徳川頼宣(よりのぶ)が城下を拡大し,以来約300年間14代にわたって栄えた。明治維新後,県庁が置かれて県の政治・経済・文化の中心地となり,1889年,県下初の市制施行都市になったが,人口は5万人余,市域面積は8.6km2にすぎなかった。…
※「太田黒田遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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