〈みやじしばい〉ともよみ,また宮芝居ともいう。名称は神社境内ないし門前の地に小屋掛けする小芝居に由来し,祭礼,勧進,開帳などの名目で臨時に認可された。恒常的な興行を許された大芝居との間にさまざまな格差があり,支配系統も,寺社奉行の下に統括された。江戸では,1645年(正保2)芝神明の笠屋三勝(かさやさんかつ)の芝居が古く,そのほか,市ヶ谷八幡,湯島天神,神田明神,深川八幡など,京では誓願寺,北野,錦天神,大坂では御霊,天満,あみだ池など各地にあり,三都だけでなく地方の神社寺院にもあった。宮地芝居の認可は日数を晴天100日に限って許されたので,〈百日芝居〉ともいわれたが,規制の弛緩に乗じて,100日の興行を繰り返し,ほとんど常打ちと変わりない興行形態もみられた。宮地芝居の繁栄を支えたのは,地理的な便の良さと入場料の安さだが,大芝居の中堅級の役者も出演するようになるなど,しだいに質的にも向上していった。とりわけ,文化・文政期(1804-30)には,諸経費の高騰などによって慢性的な経営難に陥った三座の大芝居を質,量ともに脅かす存在となり,三座の座元が,宮地芝居の取締を公儀に訴える事件がしばしば起こっている。しかし,天保改革によって宮地芝居は全面的に禁止された。その後,復活して幕末まで存在したが,明治以後劇場数の制限が変わり,小芝居も宮地による必要がなくなったため自然消滅した。
→小芝居
執筆者:阿部 優蔵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大芝居に対して二流三流どころの芝居をいう。江戸時代,官許以外の劇場は,はじめ,あちこちに散在したものが,だんだん制約を受け寺社の境内に限られるようになったので宮地芝居と呼ばれ,またその場合興行日数を100日に限って許されたので百日芝居ともいった。これらの小芝居は興行地,日数のみならず,櫓は許されず,回り舞台や引幕も許されなかった。…
…江戸では,1645年(正保2)芝神明の笠屋三勝(かさやさんかつ)の芝居が古く,そのほか,市ヶ谷八幡,湯島天神,神田明神,深川八幡など,京では誓願寺,北野,錦天神,大坂では御霊,天満,あみだ池など各地にあり,三都だけでなく地方の神社寺院にもあった。宮地芝居の認可は日数を晴天100日に限って許されたので,〈百日芝居〉ともいわれたが,規制の弛緩に乗じて,100日の興行を繰り返し,ほとんど常打ちと変わりない興行形態もみられた。宮地芝居の繁栄を支えたのは,地理的な便の良さと入場料の安さだが,大芝居の中堅級の役者も出演するようになるなど,しだいに質的にも向上していった。…
… これら常設的な大劇場(町奉行の支配を受けた)のほかに,宮地や社地には寺社奉行の支配下にある小芝居が数多く存在した。これらを〈笹櫓〉〈宮地芝居〉〈百日芝居〉などと称する。 興行の機構は,江戸と上方とでは違いがあった。…
…そのため雨天には公演は行えず,晴天の日には櫓太鼓を打って興行が催されることを知らせたという。ほかに公許されない〈宮地芝居(みやちしばい)〉が,近世初期には盛んだった。神社や寺院の境内,あるいは盛場ではやった小屋がけの小芝居である。…
…大芝居に対して二流三流どころの芝居をいう。江戸時代,官許以外の劇場は,はじめ,あちこちに散在したものが,だんだん制約を受け寺社の境内に限られるようになったので宮地芝居と呼ばれ,またその場合興行日数を100日に限って許されたので百日芝居ともいった。これらの小芝居は興行地,日数のみならず,櫓は許されず,回り舞台や引幕も許されなかった。…
※「宮地芝居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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