女性誌(読み)ジョセイシ

デジタル大辞泉 「女性誌」の意味・読み・例文・類語

じょせい‐し〔ヂヨセイ‐〕【女性誌】

主に女性をターゲットに編集された雑誌。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「女性誌」の意味・わかりやすい解説

女性誌
じょせいし

女性読者を主対象とする雑誌。大別して、女性の社会的地位の向上に重点を置く啓蒙(けいもう)誌ないし教養誌と、実用本位の生活情報に重点を置く家庭誌ないし情報誌とに分けられる。女性誌ジャーナリズムの大きな傾向としては、啓蒙的なものが相対的に減少して、生活情報誌が増大している。そのおもな理由は、高齢化、価値観の多様化、グローバリゼーション(国際化)が、女性に影響を与えていることである。そのため、健康、趣味、料理、旅行、老後など、読者の嗜好(しこう)に応じた女性雑誌の文化がみられる。

[岡 満男・田村紀雄]

啓蒙と実用

日本で最初の本格的な女性誌(当時は婦人雑誌といういいかたが一般的であった)は、1884年(明治17)6月近藤賢三(?―1886)が創刊した『女学新誌』である。新聞に福沢諭吉(ゆきち)らの婦人論が活発に登場したのに刺激されて近藤は誌面の一新を図り、翌年7月改めて『女学雑誌』を創刊した。2年後に近藤が急逝したため巌本善治(いわもとよしはる)に主宰がかわると、キリスト教主義の立場から性道徳の退廃に鋭い目を向けるなど啓蒙誌の性格を一段と強め、また女性の寄稿を積極的に取り上げた。ついで1890年代から1900年代にかけて創刊が相次いだが、主流は、博文館の『女学世界』、実業之日本社の『婦人世界』などに代表されるように、女子教育と軌を一にした良妻賢母主義の訓話的な評論と、育児、料理などの実用本位の記事を内容とする家庭誌であった。この良妻賢母の流れを汲(く)む雑誌『キング』『婦人倶楽部』『少女倶楽部』などを発行した講談社の役割は大きかった。これらは、知識層から全国津々浦々の女性大衆を対象にした初めての女性雑誌であった。そして、安価でわかりやすく、絵や写真をふんだんに使っていた。

 そのなかにあって、堺利彦(さかいとしひこ)の『家庭雑誌』、羽仁(はに)もと子の『家庭之友』(現『婦人之友』)、福田英子(ひでこ)の『世界婦人』は女性の生活意識の向上を図り、女性解放を目ざすものであった。1910年代に入ると、平塚らいてうら女性ばかりの手で『青鞜(せいとう)』が誕生した。これは女性文芸誌からしだいに女性問題誌に脱皮をみせながら、わずか4年10か月で姿を消したが、1913年(大正2)夏には総合雑誌『太陽』『中央公論』が「婦人問題特集号」を発行、やがて女権拡張を目ざす教養誌『婦人公論』の創刊を触発した。

 その一方で、実用本位の記事に徹した家庭誌『主婦之友』(のち『主婦の友』)、『婦人くらぶ』(のち『婦人倶楽部(くらぶ)』)が創刊され、女性誌も大衆誌時代に入った。活字と比較的疎遠であった女性大衆を読者に引き込んだ功績は大きかった。その後戦争に突入、末期の1944年(昭和19)には女性誌界の整理統合が行われ、大衆的家庭誌のみ生き残ったものの、誌面は戦争協力一色に塗りつぶされた。

[岡 満男・田村紀雄]

さまざまに分化する女性誌

第二次世界大戦後まもない時期、復刊・創刊が活況を呈し、そのなかには女性参政権確立を反映して教養誌的なものが多かったが、新興誌のほとんどが数年もたたずに消えた。

 1950年代になると、日本の戦後復興が軌道に乗り、まず映画産業が再建された。映画は、美空ひばりに代表されるような新しいスターの輩出に成功し、そのテンポにあわせて、新しい女性週刊誌『週刊女性』(1957年・主婦と生活社)、『女性自身』(1958年・光文社)、『女性セブン』(1963年・小学館)など、これまでの日本の雑誌ジャーナリズムの歴史にない新しいキャラクターをもった女性誌が次々に送り出された。また、これらの女性週刊誌群は、女性のファッションことば、考え方に大きな変革をもたらし、生き生きとした女性、大衆的消費性向をもつ女性を生み落とした。

 1970年代になると、さらに新感覚と知性をもった女性が現れ始め、彼女たちを対象にした『anan(アンアン)』(1970年・平凡出版、現マガジンハウス)、『non・no(ノンノ)』(1971年・集英社)、さらに団塊の世代(ベビーブームの1948年前後生まれ)を対象にした『MORE(モア)』(1977年・集英社)、『クロワッサン』(1977年・平凡出版、現マガジンハウス)などへ移行する。情報誌の機能をもちながら、海外や国内のすすんだ集団、個人の記事を中心に、それらを深く掘り下げるという点では、女性週刊誌と趣(おもむき)を異にしている。これらの女性誌ジャーナリズムを担った平凡出版が、マガジンハウスと名を変えるのと軌を一にして、広大な大海のような女性読者の意味や違いが改めて見直されてくる。1970年代には、オールグラビアの生活情報誌などもにぎやかに登場した。

 1980年代、『Can Cam(キャンキャン)』(1981年・小学館)を筆頭に、『LEE(リー)』(1983年・集英社)、『ViVi(ヴィヴィ)』(1983年・講談社)、『éf(エフ)』(1984年・主婦の友社、2006年6月よりWEB配信のみ)、『CLASSY.(クラッシィ)』(1984年・光文社)といずれもローマ字綴り、A4版のおしゃれでビジュアルな雑誌の創刊が相次いだ。これは欧米のファッション誌の影響、広告ディスプレーの需要などがあったためである。女性雑誌は大型化されカラー写真中心の記事が定着したため、広告収入も増大した。『ViVi』を創刊した講談社は翌年には広告収入が5.6%も伸びた。女性誌を中心とする雑誌の大型化は、印刷の技術革新と連動している。組版、オフセット・グラビアなどの印刷機の性能向上、文字・写真などの分散入力、VAN(Value-added network付加価値通信網)によるオンライン化・集中処理加工・集中同時出力によるコスト削減、スピードアップ、高品質化が進んだ。

 1990年代になると、女性誌のセグメンテーション(分化)はいっそう大きくなり、1990年代前後から、女性を表すさまざまなことばのなかでも「熟女」がキーワードとなる。40歳代またはそれ以上の女性たちの多くは、第二次世界大戦以後のいわゆる戦後教育を十分に受け、職場や地域で大きな能力や知性を発揮し始めた。これらの層を読者対象としたのが、『おかあさん塾』(のち『ぺあくらぶ』1995~2002年・小学館)、『My Forties(マイフォーティーズ)』(1998年・主婦と生活社)などである。ただ、20歳代を読者にしている女性週刊誌と異なり、自分の主張をしっかりもった人生経験豊かな女性を対象にしているため、雑誌の舵(かじ)取りも簡単ではない。これまでも10年単位での休廃刊がみられ、その盛衰は流動的である。これらの女性向け雑誌はオピニオンや経済トピックスではなく、生活に密着した題材を扱い、健康、料理、ガーデニング、ファッション・グッズ、通信販売などをテーマにした雑誌が次々に出版された。とくに、家庭に無料で送られてくる通信販売やカタログ雑誌に接触しない女性は皆無に近く、新しい文化的背景となった。今日では外国誌との誌面提携や外国誌の日本版の発行、さらに映像メディアとのミックス化などもみられ、多様化と国際化を色濃くしている。

 1970年代から日本に生まれたタウン誌も、世代交替などで女性の発行人、編集長が増え、女性を対象にしたものも生まれている。『子づれ DE CHA CHA CHA』(1993年・福岡)、『おかみ歳時記』(1995年・石川)などはその好例である。このタウン誌の編集者のなかから女性のライター、作家も生まれてきている。

[岡 満男・田村紀雄]

21世紀の女性誌

2000年に入って、日本の女性誌には、それまでにないいくつかの特徴をみいだすことができる。まず、女性のあらゆる分野への力強い進出である。ジャーナリストや研究者はもとより政治家、企業家、スポーツ選手と活躍をみない分野はない。それが、雑誌にも表れ、女性向けの求人情報誌、スポーツ雑誌、健康雑誌が生まれた。『ひとり暮しをとことん楽しむ』(2002年・季刊・主婦と生活社)、『自給自足』(2004年・季刊・第一プログレス社)、『からだにいいこと』(2004年・祥伝社)といった女性の新しいライフスタイルを示す雑誌も相次いで現れてきた。

 一方、少子化の進展により少年少女の人口は減少したが、彼らは情報化社会の申し子であり、知識のうえでは「早熟化」した。そのような状況のなか『One More Kiss(ワンモアキス)』(2001~2008年・講談社)、『bis(ビス)』(2003~2006年・光文社)、『NOCCO(ノッコ)』(2004~2010年・フレーベル館)、『Chu Chu(チュチュ)』(2005~2010年・小学館)のような「ませた」雑誌もみられたが、多くが数年で姿を消した。

 情報化やIT化は進捗(しんちょく)しており、携帯電話による情報交信、ブログ生活の波及、電子情報の配信の広がりなどにより、今後活字文化がどのように変化していくのか予測は難しい。バブル経済の崩壊やリーマン・ショックなどの経済的打撃が、広告収入の大幅な低下を招き、雑誌媒体に及ぼしたダメージは大きい。また、ツイッター、フェイスブックなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)サイトという新しい情報源の出現で、雑誌出版そのものは曲がり角にある。しかし、パソコンや携帯電話などの画面上で見る「ブログ」や「ケータイ小説」などの作品を、改めて活字媒体で出版したり、活字媒体の特性である一覧性、保存性などの機能を斟酌(しんしゃく)する、新しい定期刊行物の出現は十分予想されることである。かつて、『女性自身』などの女性週刊誌が、テレビ、ラジオの番組表、予告、スターのゴシップ、私生活を掘り起こすことでブームになった「メディアミックス」効果の再現である。電波、舞台、CD、イベント、ファッションなど非活字媒体とリンク、メディアミックスした女性誌は相変わらず根強い読者をもっている。しかし、先に述べたように少子高齢化、IT化、経済の停滞がメディア業界に与えたダメージは小さくない。リーマン・ショック以降は出版環境がさらに悪化し、ことに雑誌は広告収入の減収が、新聞、テレビに比しても激しかった。老舗雑誌の休刊が相次ぎ、93年の歴史を持つ『主婦の友』が2009年に休刊したのをはじめ、『CAWAII(かわいい)』(1996~2009年・主婦の友社)、『MARIE CLAIRE(マリクレール)』(1982~2009年・中央公論社、角川書店、アシェット婦人画報社)などが姿を消した。

 その一方で、高齢化社会のなかで加齢を意識した編集も目立ち、40歳前後の人を指す「アラフォー」などの言葉が生まれ、40代、50代、60代を念頭に置いた内容の記事や広告、ファッションが注目されてきた。そうしたなか、50代をターゲットとした『éclat(エクラ)』(2007年・集英社)、『HERS(ハーズ)』(2008年・光文社)などが創刊した。

 ファッション雑誌の分野では、ヤング・ファッションやモードに重点を置く宝島社が健闘した。雑誌は状況に敏感で、発行部数の浮き沈みは常である。2010年に入ってファッションに貪欲(どんよく)な若い女性の消費行動にも上昇気分が生まれ、『with(ウィズ)』(1981年・講談社)、『JJ(ジェイジェイ)』(1975年・光文社)、『non no(ノンノ)』(1971年・集英社)『MORE』(1977年・同)などで発行部数を大幅に伸ばした月も散見される。

 今後は携帯電話やタブレット型PCなど端末の進化に伴い、雑誌社から直接記事や広告を配信する事業も進むと思われる。

[岡 満男・田村紀雄]

『岡満男著『婦人雑誌ジャーナリズム』(1981・現代ジャーナリズム出版会)』『井上輝子、女性雑誌研究会著『女性雑誌を解読する』(1989・垣内出版)』『中島邦他著『日本の婦人雑誌』解説編(1994・大空社)』『J・ディッキー他著、井上輝子・女性雑誌研究会訳『メディア・セクシズム』(1995・垣内出版)』『近代女性文化史研究会著『大正期の女性雑誌』(1996・大空社)』『浜崎広著『女性誌の源流――女の雑誌、かく生まれ、かく競い、かく死せり』(2004・出版ニュース社)』『川井良介編著『出版メディア入門』(2006・日本評論社)』

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