コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

福田英子 ふくだひでこ

8件 の用語解説(福田英子の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福田英子
ふくだひでこ

[生]慶応1(1865).10.5. 岡山
[没]1927.5.2. 東京
婦人解放運動の先駆者。旧姓景山。父は岡山藩士景山確。自由党に入り自由民権運動に参加,1885年大阪事件で投獄される。出獄後大井憲太郎との間に1子をもうけたが離別。福田友作と結婚。 1900年福田と死別後,女子の実業教育を志したが,しだいに社会主義思想に共鳴,1907年安部磯雄木下尚江石川三四郎らと雑誌『世界婦人』を創刊,その主筆となり,婦人解放を主張。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ふくだ‐ひでこ【福田英子】

[1865~1927]婦人運動家。岡山の生まれ。旧姓、景山。自由民権運動に参加。大井憲太郎らと大阪事件に連座。明治40年(1907)雑誌「世界婦人」を創刊。著「妾(わらわ)の半生涯」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

福田英子【ふくだひでこ】

フェミニズム運動の先駆者。岡山藩の下級武士景山確の娘。岸田俊子の岡山遊説に感激し,自由民権運動に参加。1885年大阪事件で下獄。出獄後大井憲太郎と結婚し1子をもうけるが,離婚。
→関連項目婦人参政権

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

福田英子 ふくだ-ひでこ

1865-1927 明治-大正時代の婦人運動家。
慶応元年10月5日生まれ。岸田俊子の演説に影響をうけ,自由民権運動にくわわる。明治18年大阪事件で入獄。出獄して大井憲太郎と結婚,のち社会運動家福田友作と再婚。40年「世界婦人」を創刊し,女性解放を主張した。昭和2年5月2日死去。63歳。備前(岡山県)出身。旧姓は景山。本名は英。著作に「妾(わらわ)の半生涯」。
【格言など】妾が過ぎ来し方は蹉跌(さてつ)の上の蹉跌なりき。されど妾は常に戦えり(「妾の半生涯」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

福田英子

没年:昭和2.5.2(1927)
生年:慶応1.10.5(1865.11.22)
社会運動家,女性解放運動の先駆者。岡山県生まれ。旧姓景山。岡山藩士確 と母楳の次女。少女時代を教師だった母の強い感化で育つ。明治12(1879)年,小学校を終え,15歳で母校の教壇に立つ。15年,来岡した岸田俊子(中島湘煙)の政談演説に刺激され,女権拡張に目覚める。翌年蒸紅学舎を開くが弾圧を受け1年後閉鎖し上京。18年,自由党左派大井憲太郎らの朝鮮改革運動に紅一点で参画,大阪事件(1885)で入獄。22年出獄後,大井憲太郎と結婚するが,同志清水紫琴と夫との愛情関係を知り離別。25年,社会運動家福田友作と結婚,3男をもうける。33年友作没後,角筈女子工芸学校を設け,実業教育を行う。堺利彦らの平民社員と交流,女性解放を社会主義に求め,40年『世界婦人』を創刊,発禁を重ねながら2年半続刊。また婦人参政への請願,足尾鉱毒被災民救援などで活躍。晩年は不遇で呉服行商で生活を支えた。<著作>『妾の半生涯』<参考文献>村田静子『福田英子

(山口美代子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ふくだひでこ【福田英子】

1865‐1927(慶応1‐昭和2)
女性解放運動の先駆者。本名英。岡山藩士景山確の次女として生まれた。1882年岸田俊子の演説を聴いて女性解放を志し,翌83年女子教育のために夜間部をもつ私塾蒸紅学舎を母とともに設立する。また岡山に自由民権運動が波及すると女子懇親会を開くなどしたが,84年集会条例により学舎は閉鎖命令をうける。同年秋,上京し,大井憲太郎らと自由民権運動を進め,85年には朝鮮の内政改革運動に参加して資金調達などを担当し,逮捕,投獄され(大阪事件),紅一点として有名になる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ふくだひでこ【福田英子】

1865~1929) 女性解放運動の先駆者。岡山県生まれ。旧姓、景山。大井憲太郎らとともに大阪事件に連座。1907年(明治40)、雑誌「世界婦人」を創刊し、婦人解放を主張。著「妾わらわの半生涯」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福田英子
ふくだひでこ
(1865―1927)

自由民権期の女性運動家。1865年(慶応(けいおう)1)10月5日、備前(びぜん)国(岡山県)、岡山藩士景山確(かげやまかたし)の三女として生まれる。幼時より母楳子(うめこ)の勧めで漢学を学び、小学校卒業後の1880年(明治13)に母校の助教諭となる。1882年岸田俊子(としこ)の岡山遊説を機に岡山女子懇親会を結成して、自由民権運動に参加。自由党解党後、大井憲太郎(けんたろう)らとともに朝鮮改革運動に加わるが、計画が発覚して逮捕、投獄される(大阪事件)。1889年帝国憲法発布の大赦令で出獄、大井と結婚して1子を生むが離別。1893年同じく自由民権運動家の福田友作(ともさく)(1865―1900)と結婚するが、3人の子を抱えて死別する。以後、石川三四郎ら社会主義者と交わって平民社の活動にも参加、1907年(明治40)には『世界婦人』を創刊、主筆として「婦人解放」の論陣を張った。『青鞜(せいとう)』にも寄稿している。晩年は不遇であったが、生涯反権力の姿勢を貫いた。自伝『妾(わらわ)の半生涯』などの著書がある。なお女子の教育にも熱心で、私塾蒸紅(じょうこう)学舎(1883)などを開いている。1927年(昭和2)5月2日死去。[米田佐代子]
『『妾の半生涯』(岩波文庫) ▽村田静子著『福田英子』(岩波新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の福田英子の言及

【大阪事件】より

…1885年(明治18)自由党左派がくわだてた朝鮮内政改革の試み。大阪で同志が逮捕されたのでこう呼ばれる。壬午軍乱(1882),甲申政変(1884)で朝鮮における親日派の後退を見た自由党左派の首領大井憲太郎は,1885年11月小林樟雄,磯山清兵衛,新井章吾,稲垣示らと謀り,壮士を率いて渡韓,事大党(閔妃政権)を倒して独立党政権を樹立する計画を進めたが,磯山の変心で発覚し一同逮捕された。計画そのものはずさんで関係者の意図もまちまちであったが,おおよそのところは朝鮮独立を達成することで国民の眼を外に転じ,刺激を与えることで内政改良へと向かわせようという点にあった。…

※「福田英子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

福田英子の関連キーワード平塚雷鳥ウーマン・リブ社会運動スタントン部落解放運動運動家女性解放運動ツェトキーン難波英夫深尾韶

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

福田英子の関連情報