巌本善治(読み)イワモトヨシハル

デジタル大辞泉 「巌本善治」の意味・読み・例文・類語

いわもと‐よしはる〔いはもと‐〕【巌本善治】

[1863~1942]教育者兵庫の生まれ。キリスト教精神に基づいて女子教育尽力。日本最初の婦人雑誌女学雑誌」を発行し、女性解放運動を推進した。妻は若松賤子わかまつしずこ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「巌本善治」の意味・わかりやすい解説

巌本善治
いわもとよしはる
(1863―1942)

教育家、評論家但馬(たじま)国(兵庫県)生まれ。本姓井上、幼時、漢詩人巌本琴城(?―1903)の養子となる。中村正直(まさなお)、津田仙に学び、1883年(明治16)受洗。1884年『女学新誌』を出したが、1885年7月新たに『女学雑誌』を創刊して日本の初期婦人解放運動に貢献した。かたわら同年9月に木村熊二(くまじ)(1845―1927)・鐙(とう)(1848―1886)夫妻により創設された明治女学校教員に迎えられ、1885年、のちに『小公子』の翻訳で知られる若松賤子(しずこ)と結婚、1892年明治女学校校長となって、『吾党之女子教育』(1892)に著されたようなキリスト教信仰を基盤とする自由主義的理想主義教育を実践した。同校廃校後は実業方面に転じた。彼の編になる『海舟座談(かいしゅうざだん)』(1930)は、勝海舟の口を通して語られる幕末から明治にかけての為政者の姿と海舟の人間像をみごとにとらえている。バイオリニスト巌本真理は孫である。

[橋詰静子]

『相馬黒光著『黙移』(1936・女性時代社/復刊・1977・法政大学出版局)』

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20世紀日本人名事典 「巌本善治」の解説

巌本 善治
イワモト ヨシハル

明治〜昭和期のジャーナリスト,教育者 「女学雑誌」創刊者;明治女学校校長。



生年
文久3年6月15日(1863年)

没年
昭和17(1942)年10月6日

出生地
但馬国出石町(兵庫県)

旧姓(旧名)
井上

別名
号=井上 次郎,月の舎 しのぶ,山下石翁,撫象子,如雲

経歴
明治9年上京、同人社、学農社などに学んだ。16年下谷教会で受洗、18年浮田和民と基督教新聞を創刊、19年日本最初の婦人誌「女学新誌」(のち「女学雑誌」と改題)を創刊。20年明治女学校教頭となり25年校長に就任、女性解放を説き、キリスト教精神に基づく自由教育を実践した。同校教師に島崎藤村、北村透谷らを迎え、「女学雑誌」には藤村、透谷のほか内村鑑三、田中正造らも寄稿、やがて「文学界」の母体となった。37年「女学雑誌」廃刊、41年明治女学校も廃校となったが、その後は明治殖民会社を起こし、南米ペルーへの移民を図ったり、内外通信会社を設立、実業界にも関係した。著書に「海舟余波」「海舟座談」など。妻若松賤子はバーネット「小公子」の訳者、巌本真理は孫。

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改訂新版 世界大百科事典 「巌本善治」の意味・わかりやすい解説

巌本善治 (いわもとよしはる)
生没年:1863-1942(文久3-昭和17)

明治期の評論家,女子教育者。キリスト教を支えにした近代的市民的婦人観によって婦人の地位向上に努めた。兵庫県出身で,1883年受洗。86年から《女学雑誌》を主宰,誌上で形式的な西欧模倣を批判しながらも男女同等を説き続け,それを阻む芸娼妓の公許,婦人の無教養,向上心の欠如,男性中心の婚姻制度,婦人職業の未発達などの解消を主張し,婦人の団体活動を勧奨した。同誌は北村透谷,島崎藤村らの《文学界》創刊(1893)の契機を用意するなど,明治文学史上でも注目される。廃娼運動などで知られる日本基督教婦人矯風会の前身,東京婦人矯風会結成(1886)の積極的な援助者でもあった。87年から明治女学校の経営に乗り出し,明治・大正・昭和期に活躍する多くの進歩的女性を育てている。《小公子》の訳者として知られる若松賤子(わかまつしずこ)は彼の妻である。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「巌本善治」の意味・わかりやすい解説

巌本善治【いわもとよしはる】

キリスト教の立場から婦人の地位向上に努めた評論家・教育者。但馬国出身で,1883年受洗。1886年から《女学雑誌》を主宰し,男女同等を説き,婦人の団体活動を勧奨した。また廃娼運動などで知られる日本基督教婦人矯風会の前身,東京婦人矯風会結成(1886年)の援助者でもあった。1885年に創設された明治女学校には発起人として参加,のち教頭・校長となり,多くの進歩的女性を育てた。妻は《小公子》の訳者として知られる若松賤子(しずこ)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「巌本善治」の意味・わかりやすい解説

巌本善治
いわもとぜんじ

[生]文久3(1863).6.15. 但馬
[没]1942.10.6.
女子教育家。商人井上藤兵衛の次男として出生。明治1 (1868) 年漢詩人琴城巌本範治の養子となる。 1876年上京し中村敬宇の同人社に学び,80年津田仙の学農社入学。 83年下谷教会で木村熊二より受洗。 85年7月『女学雑誌』を創刊,同年 10月明治女学校の創設に参加。 87年同女学校教頭に就任。 92年同女学校校長となる。かたわら婦人問題,近代的な家庭を理想とする啓蒙活動を積極的に展開した。彼の妻は『小公子』の翻訳で著名な若松賤子。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「巌本善治」の解説

巌本善治 いわもと-よしはる

1863-1942 明治時代の教育者,評論家。
文久3年6月15日生まれ。若松賤子(しずこ)の夫。巌本真理の祖父。津田仙の影響で明治16年受洗。18年「女学雑誌」を創刊。20年明治女学校の教頭となり,25年校長。キリスト教精神にもとづく女子教育につくした。昭和17年10月6日死去。80歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。旧姓は井上。評論に「海舟座談」。
【格言など】理想先ず心中に成って,而して後(のち)発して行為(おこない),言語(ことば)となる(「理想之佳人」)

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367日誕生日大事典 「巌本善治」の解説

巌本 善治 (いわもと よしはる)

生年月日:1863年6月15日
明治時代-昭和時代の女子教育家。明治女学院校長;「基督教新聞」主筆
1942年没

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世界大百科事典(旧版)内の巌本善治の言及

【女学雑誌】より

…初代編集人の近藤賢三は,1884年に《女学新誌》を創刊したが,婦人論が活発になった風潮をみてそれを1年で廃刊し,新たに《女学雑誌》を創刊した。近藤は86年に死亡したが,第30号から巌本善治が主宰し,第524号からは青柳猛(有美)が引き継いだが第526号で廃刊した。雑誌の内容としては,文明開化の時代にふさわしい女性の地位の向上を訴える啓蒙的な論文が中心となっていた。…

【明治女学校】より

…1885年木村熊二・鐙子夫妻が東京九段に創設したキリスト教主義の女子中等教育機関。最盛期は明治20年代で,巌本善治(1887年教頭,92年2代校長)の努力によるところが大きく,300名もの生徒が学んだ時期もある。英語,漢文,数学のほか自然科学関係の科目も重視され,教育程度は高く,文学会,クリスマス祝会など課外活動も活発で,寮は自治に任されるなど自由な雰囲気に満ちていた。…

※「巌本善治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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