教育家、評論家。但馬(たじま)国(兵庫県)生まれ。本姓井上、幼時、漢詩人巌本琴城(?―1903)の養子となる。中村正直(まさなお)、津田仙に学び、1883年(明治16)受洗。1884年『女学新誌』を出したが、1885年7月新たに『女学雑誌』を創刊して日本の初期婦人解放運動に貢献した。かたわら同年9月に木村熊二(くまじ)(1845―1927)・鐙(とう)(1848―1886)夫妻により創設された明治女学校教員に迎えられ、1885年、のちに『小公子』の翻訳で知られる若松賤子(しずこ)と結婚、1892年明治女学校校長となって、『吾党之女子教育』(1892)に著されたようなキリスト教信仰を基盤とする自由主義的理想主義教育を実践した。同校廃校後は実業方面に転じた。彼の編になる『海舟座談(かいしゅうざだん)』(1930)は、勝海舟の口を通して語られる幕末から明治にかけての為政者の姿と海舟の人間像をみごとにとらえている。バイオリニスト巌本真理は孫である。
[橋詰静子]
『相馬黒光著『黙移』(1936・女性時代社/復刊・1977・法政大学出版局)』
明治〜昭和期のジャーナリスト,教育者 「女学雑誌」創刊者;明治女学校校長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
明治期の評論家,女子教育者。キリスト教を支えにした近代的市民的婦人観によって婦人の地位向上に努めた。兵庫県出身で,1883年受洗。86年から《女学雑誌》を主宰,誌上で形式的な西欧模倣を批判しながらも男女同等を説き続け,それを阻む芸娼妓の公許,婦人の無教養,向上心の欠如,男性中心の婚姻制度,婦人職業の未発達などの解消を主張し,婦人の団体活動を勧奨した。同誌は北村透谷,島崎藤村らの《文学界》創刊(1893)の契機を用意するなど,明治文学史上でも注目される。廃娼運動などで知られる日本基督教婦人矯風会の前身,東京婦人矯風会結成(1886)の積極的な援助者でもあった。87年から明治女学校の経営に乗り出し,明治・大正・昭和期に活躍する多くの進歩的女性を育てている。《小公子》の訳者として知られる若松賤子(わかまつしずこ)は彼の妻である。
執筆者:千野 陽一
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…初代編集人の近藤賢三は,1884年に《女学新誌》を創刊したが,婦人論が活発になった風潮をみてそれを1年で廃刊し,新たに《女学雑誌》を創刊した。近藤は86年に死亡したが,第30号から巌本善治が主宰し,第524号からは青柳猛(有美)が引き継いだが第526号で廃刊した。雑誌の内容としては,文明開化の時代にふさわしい女性の地位の向上を訴える啓蒙的な論文が中心となっていた。…
…1885年木村熊二・鐙子夫妻が東京九段に創設したキリスト教主義の女子中等教育機関。最盛期は明治20年代で,巌本善治(1887年教頭,92年2代校長)の努力によるところが大きく,300名もの生徒が学んだ時期もある。英語,漢文,数学のほか自然科学関係の科目も重視され,教育程度は高く,文学会,クリスマス祝会など課外活動も活発で,寮は自治に任されるなど自由な雰囲気に満ちていた。…
※「巌本善治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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