〈男は外,女は内〉とする性別役割分業論を支えに,第2次大戦中まで日本の女子教育がその定着に力を注いだ女性像。そのため戦前の女子教育は良妻賢母主義教育ともいわれた。しかし,女子教育の内実は時代とともに変化する。文明開化期には欧米の影響を受けて,男女の人格平等が説かれ,男女共通の普通教育がすすめられたが,明治10年代から性差に応じた教育を求める動きが台頭してきた。明治20年代に入ると,男尊女卑を基調とする儒教主義的婦人観が支配的となり,家事の教育とともに《女大学》的な婦徳の養成が強調されてくる。とくに教育勅語の発布(1890),さらには家父長専制をうたった民法親族・相続編の公布(1898)は,この傾向を決定的にし,良妻賢母主義教育が確立されていく。日清戦争(1894-95),北清事変(1900),日露戦争(1904-05)とほぼ5年おきにあいついだ大陸侵略戦争は,女性の戦争協力・国策協力をしだいに強く要求していくが,女性の役割を家庭内に局限して行われる良妻賢母主義教育は,いきおい国家・社会に対する女性の無関心さを生みださざるをえず,この国家主義的軍国主義的要請に十分こたええなかった。したがって,この良妻賢母主義教育を国家主義的・軍国主義的立場から補強する動きが,とくに日露戦争前後から第1次世界大戦の時期にかけて高まってくる。こうして,第1次大戦終結のまぎわ,内閣直属の臨時教育会議が〈女子教育ニ関スル件〉の答申(1918)で,女子教育の重点を〈殊ニ国体ノ観念ヲ重視スルノ精神ヲ鞏固(きようこ)ニシ……我家族制度ニ適スルノ素養ヲ与フルニ主力ヲ注クコト〉におき,それ以後第2次大戦の敗戦に至るまで,国家主義的良妻賢母主義教育が,日本の女子教育に貫徹していく。第2次大戦後は,男女同権の立場からこのような教育は基本的に否定されたが,高校家庭科を女子のみに必修とした(1973)ことにみられるように,戦前とは形を変えたマイホーム主義的な良妻賢母観が,いまだに根強く社会に残っている。しかし,近年では,〈女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)〉の批准(1985)を契機に,高校家庭科男女共修が1994年度以降学年進行で実施されることとなり,また,〈男女共同参加型社会システムの形成〉を提言した政府の〈西暦2000年に向けての新国内行動計画〉の決定(1987),および共同参加を共同参画に強めた新国内行動計画の改定(1991)によって,良妻賢母観も力を弱める兆しを見せはじめようとしている。
→女子教育
執筆者:千野 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ここを中心に,〈家庭生活に関するあらゆることを有能に処理し,家庭および家族の安寧・幸福のためのあらゆる手段や方法・技術〉としての家政学が発展し,女子の高等教育の要としての専業主婦の専門的教養教育がすすめられた。 日本では,明治初年,上からの近代化を目ざした学制が整備されるなかで,女子教育の精神としての〈良妻賢母〉主義が措定され,高等女学校を中心とした女子の高等教育を,この良妻賢母主義に支えられた家政学が担った。天皇を中心とした家父長制国家の基礎に,家父長制家族〈イエ〉がおかれ,この〈イエ〉の実質的担い手としての良妻賢母に必要な家事技術(裁縫を主として料理も)と儒教主義道徳が,家政学の具体的内容であった。…
※「良妻賢母」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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