妙泉寺(読み)みようせんじ

日本歴史地名大系 「妙泉寺」の解説

妙泉寺
みようせんじ

京における日蓮宗寺院としては最も古い寺の一つで、もと歓喜かんき寺と号した(京童跡追)。寺伝によれば、歓喜寺の前身は、正暦三年(九九二)六月八日に中納言源保光によって創建された「松崎寺、号円明寺」(日本紀略)と伝え、観音菩薩本尊とする天台宗寺院であった。その後寺名を歓喜寺と変え近江延暦寺末として続いたが(「京童跡追」など)日蓮の法孫日像がこの地に布教活動を行った際、その説法を聞いた時の住職実眼が日像に帰依し、徳治二年(一三〇七)日蓮宗に改宗、寺号も妙泉寺と改めたという(京都府愛宕郡村志)


妙泉寺
みようせんじ

[現在地名]木更津市真里谷

武田たけだ川の北、戦国期の要害ようがい城跡の西にある。大蔵山と号し、曹洞宗、本尊は釈迦如来。寺伝によると、正安三年(一三〇一)に継巌永胤が開創(建長五年ともいう)、天文四年(一五三五)真里谷まりやつ城主武田信隆が中興開基になったという。永禄一〇年(一五六七)九月一日、北条氏発給と考えられる朱印状を与えられている(九月一日「某家朱印状案写」小田原編年録附録)。天正一九年(一五九一)徳川家康から朱印地一〇石を与えられた(寛文五年御朱印帳)


妙泉寺
みようせんじ

[現在地名]敦賀市浦底

浦底うらそこ集落の中央よりやや南寄りの山縁にある。山号は清流山、法華宗(本門流)。本尊十界大曼荼羅。明治一四年(一八八一)の浦底浦地誌取調帳(浦底区有文書)に「日蓮宗、西京妙蓮寺ノ末派ナリ、浦ノ南方ニアリ、永和元乙卯年、月日不詳、僧日敬之ヲ開基創立ス」と記され、「敦賀志」は「寺内ニ桜の樹有、大ニ囲枝葉繁茂して杜の如し、満花の頃ハ敦賀より船を回らし、空にしられぬ雪を賞歓す」と述べる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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