妙照寺(読み)みようしようじ

日本歴史地名大系 「妙照寺」の解説

妙照寺
みようしようじ

[現在地名]岐阜市梶川町

金華きんか山西麓、本町ほんまち通南側に位置し、北側の常在じようざい寺と向合う。承応町絵図に土取跡とある地点にあたり、明暦二年(一六五六)今泉いまいずみ村から現在地に移ったとされる(旧岐阜市史)。三光山と号し、日蓮宗本尊十界大曼荼羅。天文三年(一五三四)妙顕みようけん(現京都市上京区)一〇世日応の弟子日舜が今泉村に創建したのが始めといわれる。慶長五年(一六〇〇)三世日宥のとき織田秀信が竹中氏とその家臣の屋敷・妙照寺隠居屋敷の三ヵ所を寄進し寺を建立した(「織田秀信判物」寺蔵文書)

妙照寺
みようしようじ

[現在地名]沼南町大井 御堂

長国山と号し、日蓮宗。本尊は十界曼荼羅。一二世日通が享保一八年(一七三三)に選した妙照寺由来(寺蔵)によれば、日蓮の弟子日弁(一二三九―一三一一)が正応元年(一二八八)頃、当地の御堂(真言寺院)を改宗し、光雲山妙照寺と号したのが草創という。当寺の東方には御堂の堂跡と称する地が残る。また応永一〇年(一四〇三)、同三二年、永享一二年(一四四〇)、延徳二年(一四九〇)などに建立された題目板碑が現存し、室町期の弘法教化が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「妙照寺」の意味・わかりやすい解説

妙照寺
みょうしょうじ

新潟県佐渡(さど)市市野沢にある日蓮(にちれん)宗の寺。一の谷妙法華山(いちのさわみょうほけざん)と号する。本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。日蓮の開創。佐渡に流罪となった日蓮は、1272年(文永9)それまで居住していた塚原三昧(さんまい)堂から一の谷の地頭(じとう)近藤伊予守(いよのかみ)清久預りとなったが、地頭一家は宗門を改め、庵(いおり)を建立して日蓮を遇した。74年2月に赦免を受けた日蓮は、弟子の日静をこの庵主(あんじゅ)にあてて島を去るが、翌75年(建治1)本尊仏、山号寺号を身延(みのぶ)山から与えて寺にしたと伝える。室町時代には山中12坊を数えて隆盛を誇った。祖師堂の御影日蓮上人(しょうにん)所持の扇子赦免状の写しなどが伝わる。

[里道徳雄]

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世界大百科事典(旧版)内の妙照寺の言及

【佐和田[町]】より

…西部の沢根は奥の鶴子銀山(のち銅山)の積出港として発展した古い港町で,蠟型鋳金による銅器を特産する。市野沢に日蓮が《観心本尊鈔》を著した一谷(いちのさわ)配所といわれる妙照寺があり,二宮(にくう)に実相寺,八幡に佐渡博物館がある。【磯部 利貞】。…

※「妙照寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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