存在論(読み)そんざいろん(英語表記)ontologia; ontology

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

存在論
そんざいろん
ontologia; ontology

存在者一般に関する学。 ontologiaの語は 1613年ゴクレニウスが最初に用い,クラウベルクを経てウォルフにいたり用語として定着したが,存在論自体は古代にさかのぼる。アリストテレス第一哲学がそれであり,以後の歴史においても形而上学中核は存在論であった。カント以後哲学の主流は認識論に傾いたが,20世紀に入って N.ハルトマンの批判的存在論や M.ハイデガー基礎的存在論,また実存哲学の興隆によって再び存在論が哲学の中核となった。

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デジタル大辞泉の解説

そんざい‐ろん【存在論】

《〈ドイツ〉Ontologie》あらゆる存在者が存在しているということは何を意味するかを問い究め、存在そのものの根拠またはその様態について根源的・普遍的に考察し、規定する学問。アリストテレス第一哲学以来、形而上学の中枢に位置し続けている哲学の基礎的部門。存在学本体論オントロギー

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百科事典マイペディアの解説

存在論【そんざいろん】

英語ontologyなどの訳で,17世紀のR.ゴクレウスの造語(ontologia)になるという。〈あるということはどういうことであるか〉(和辻哲郎)を問う哲学の一部門。しばしば認識論に対比される。個々の存在者ではなく,存在者一般に関する学であり,すべての存在者が存在者である限りにおいて共通にもつもの,あるいは存在そのものおよびそれのもつ最も根本的・普遍的な諸規定を考察する。アリストテレスにおける〈第一哲学〉としての形而上学は存在学であり,また中世のスコラ学はアリストテレス存在論の伝承をめぐって展開された一面をもつ。近世に入ってウォルフは存在論を特殊存在を論ずる諸部門の総論として,理性的認識による〈本体〉の学と考えた(そのため以前は存在論は〈本体論〉といわれた)が,カントはこれを認識の可能性に関する吟味を欠く独断論として否定し,代わって〈先験哲学〉を提唱した。しかし,カントの後,存在論は新たに認識論に対抗する意味で復活し,ヘーゲルの存在論の意味での論理学,N.ハルトマンの批判的存在論,フッサールハイデッガーサルトルらにおけるおのおの独自の現象学的存在論などにみられるように,それは存在論あるいは形而上学に認識論を先行させるカント的立場に対して,逆に存在論あるいは形而上学を基礎にして認識論を説くものである。→認識論

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世界大百科事典 第2版の解説

そんざいろん【存在論 ontology】

ギリシア語の〈在るものon〉と〈学logos〉から作られたラテン語〈オントロギアontologia〉すなわち〈存在者についての哲学philosophia de ente〉に遡(さかのぼ)り,17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ゴクレニウスRudolf Gocleniusに由来する用語。同世紀半ば,ドイツのデカルト主義者クラウベルクJohann Claubergはこれを〈オントソフィアontosophia〉とも呼び,〈存在者についての形而上学metaphysica de ente〉と解した。

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大辞林 第三版の解説

そんざいろん【存在論】

単に個々の事物(存在者)の特殊な性質ではなく、それらを存在させる存在そのものの意味や根本規定を研究する学問。アリストテレスの第一哲学以来、形而上学の基礎論であり、本体と現象との二元論に基づいて本体論ともいう。カントはウォルフ学派の存在論(本体論)を独断論として批判したが、現代では人間存在の分析を通じた新たな存在論の試み(ハイデッガー・サルトルなど)が再び起こっている。存在学。オントロギー。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

存在論
そんざいろん

哲学の一部門で、存在または存在者を扱う。存在学ともいう。ラテン語ではオントロギアontologiaというが、これは、ギリシア語のon(存在者)とlogos(論、説)からなる合成語であって、デカルト派の哲学者クラウベルク(1622―65)が初めて用いた。この語にあたるギリシア語はないが、存在および存在者の探究は、すでに古代ギリシアの哲学において始まっていた。[加藤信朗]

古代

古代ギリシアの最初の哲学者が、いっさいの事物の始原は何かと問うたとき、それは事物の存在を、この事物の存在に先だつ、事物の存在以外の力(神々)によって説明すること(神話的解釈)を捨てて、事物の存在をわれわれにあらわで、あるがままの存在において、全体的に問うことであった。この意味において、ギリシアの哲学はその端緒から、すでに存在への問いとして出発していたといえる。しかし、存在の問題をそれとして明確化した最初の人は、パルメニデスである。
 すなわち、パルメニデスにおいて、存在の問題は「ある」estin(ギリシア語)ということばとしてとらえられ、存在者は「ある」ということばがいっさいの制約を離れてもつ十全な意味に従って、完全無欠なもの(いっさいの「あらぬ」を排除するもの)として思考された。そこから、不完全な存在者はすべて非存在者とされ、無宇宙論Akosmismus(ドイツ語)が帰結した。後代の存在論の問題は、すべて生成消滅する世界内の存在者をいかなる意味において存在するとするか、また存在しないとするかにかかっている。
 プラトンにおいて、非存在の問題が初めてとらえられた。存在は非存在において、われわれに示現する(したがって、存在と非存在は単純に排斥しあわない)。存在の示現がイデアである。存在と非存在のかかわり合いに存在論の問題があり、これを明らかにしていく道が問答法dialektik(ギリシア語)である。アリストテレスにおいては、存在は存在本質とのかかわりにおいて問われる。すべて「あるもの」は、或(あ)る「何か」であり、この「何か」がその存在本質である。存在本質は、或る一定のものである限りにおいて或る類のうちにある。アリストテレスは、最高の類として10個のカテゴリーをあげた。しかし「ある」という述語はすべての類に属するものに述語されるので、カテゴリーの範囲を越え出るものであって、一定の類のうちに含まれる存在者を扱う特殊な科学によっては取り扱われない(「存在」はこの意味において、「善」「真」「一」などとともに、のちに「超越者」ラテン語ではtranscendentaliaとよばれた)。「ある」という述語を総合的に取り扱い、それがどのようなさまざまの意味をもち、またどのような原理に基づいてあるかを探究する学問を、アリストテレスは「存在者である限りにおける存在者の原理の学」と規定し、これを「第一哲学」(のちに「形而上(けいじじょう)学」とよばれる)と名づけた。これが、哲学史における存在論の最初の体系的な試みである。[加藤信朗]

中世

古代末期から中世に至るキリスト教の思想は、聖書の神のことば(啓示)を世界存在解明の鍵(かぎ)とすることをその特色とした。そこで、モーセに語られたとされる「我はあるものなり」Ego sum qui sum(ラテン語)という神の自己示現のことばは、原理である神存在と被造物である世界存在との関係を解く鍵として、早くから注目され、そこに独特な存在の思索が展開されていった。「存在論的証明」としてアンセルムスのうちに結晶した存在の思弁は、この独自な存在論の生んだみごとな成果の一つである。
 ついで、トマス・アクィナスはイスラム教圏からも神学的思弁の伝統を吸収し、この存在思弁をアリストテレスの存在論に接合した。神は「存在そのもの」esse ipsum(ラテン語)すなわち、その存在の働きそのものが、その存在本質であるところのものである。これに対して、世界存在はそれぞれの存在に応じて相異なる存在本質をもつ。しかし、その存在本質は存在を含むものではないので、神である存在そのものに原因づけられて存在する。こうして、トマスによってキリスト教の創造論は存在論的に解釈された。[加藤信朗]

近世

近世哲学の認識論的・観念論的な傾向は、存在の問題を哲学の主題から遠ざけた。この傾向は、20世紀前半期以来、実存論的・形而上学的な傾向をもつ哲学によって是正され始めたが、この偏向を根本から批判し、存在の問題を哲学の主問題として回復したのは、ハイデッガーである。[加藤信朗]
『松本正夫著『存在論の歴史』(『岩波講座 哲学 存在と知識』所収・1968・岩波書店) ▽アリストテレス著、出隆訳『形而上学』二冊(岩波文庫)』

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