日本大百科全書(ニッポニカ) 「孫峻青」の意味・わかりやすい解説
孫峻青
そんしゅんせい / スンチュンチン
(1922― )
中国の作家。本名孫俊卿(そんしゅんけい/スンチュンチン)、筆名の峻青だけでよばれることが多い。山東(さんとう/シャントン)省海陽県出身。家は貧しく、私塾に数年通ったのみで、13歳から隣村の地主の経営するレース工場の少年工になり、工員の仕事のほか、農作業から家事に至るまで、雑多な労働を体験した。抗日戦開始後革命運動に参加、教育も受けて五・四運動以後の新文学も知り、1941年処女作『風雪の夜』を発表した。その後、山東で共産党地方機関紙の記者をしながら、多くの短編小説を発表、48年春、解放軍の南進にしたがって南下、52年以降専業作家となり、『黎明(れいめい)の河辺』(1955)など、おもに山東の革命闘争に取材した短編を次々に発表した。強烈な戦闘精神をもった英雄像を歌い上げるのが特徴だが、山東に対する郷土愛ととけ合った抒情(じょじょう)性に支えられている点で、単なる英雄物語の域を脱している。文化大革命では、「修正主義戦争文学の担い手」「中国のショーロホフ」などの非難を受け、秘密のうちに逮捕されて、5年半の牢獄生活を送った。文革後は、52年から構想し文革前夜にその第一部を完成していながら、文革で原稿・資料もろとも奪い去られ行方知れずになった長編『決戦』再執筆の準備として書いたやや短い長編『海嘯(かいしょう)』の一部を各誌に発表したのをはじめ、多くの散文を書き、上海作家協会副主席も務めた。また81年、週刊新聞『文学報』を発起、その編集に参加した。
[丸山 昇]