安世高(読み)アンセイコウ(英語表記)Ān Shì gāo

デジタル大辞泉 「安世高」の意味・読み・例文・類語

あん‐せいこう〔‐セイカウ〕【安世高】

[?~170ころ]中国、漢代の僧。西アジア安息国パルティア)の王子であったが、出家して仏教を修め、中国に渡り、洛陽らくよう経典翻訳従事した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「安世高」の意味・読み・例文・類語

あんせいこう アンセイカウ【安世高】

中国、漢代の高僧ペルシアの古王国安息国(パルティア)の太子王位を捨てて仏教に帰依(きえ)後漢桓帝(かんてい)の建和年間(一四七‐一四九洛陽に来て、「安般守意経」などの経典を訳出中国仏教基礎を築いた。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「安世高」の意味・わかりやすい解説

安世高 (あんせいこう)
Ān Shì gāo

中国,後漢の桓帝(かんてい)時代(147-167)に渡来した訳経僧。生没年不明。世高は字,本名は安清,安侯ともいう。安息国(パルティア)の皇太子位を捨て出家,阿毘曇を学んだ。のち中国伝道を志し桓帝の初年,洛陽に至り,爾来20余年の間に《安般守意経》等34部40巻を訳出。後漢末の混乱にあい,廬山から予章へ達し東寺を建立,広州をめぐり北上して会稽にまで来たとき,市井の乱闘で殺された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安世高」の意味・わかりやすい解説

安世高
あんせいこう

生没年不詳。中国、後漢(ごかん)の僧、仏典翻訳者。安息(あんそく)国(パルティア)の太子として生まれたが、王位を弟に譲って仏教に志した。148年ころ洛陽(らくよう)に至り、以後20余年間に30余部の経典を訳出した。当時の安息国は小乗の説一切有部(せついっさいうぶ)が盛んで、安世高もその流れを受け、禅観経典(『安般守意経(あんぱんしゅいぎょう)』『陰持入経(おんじにっきょう)』『大道地経(だいどうじきょう)』など)、阿含(あごん)経典(『人本欲生経(にんぽんよくしょうきょう)』『七処三観経(しちしょさんかんきょう)』『八正道経(はっしょうどうきょう)』など)、阿毘曇(あびどん)教理書(『阿毘曇五法経(ごほうきょう)』など)を翻訳紹介した。最初の本格的訳経者として、後世高く評価された。

[末木文美士 2017年1月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安世高」の意味・わかりやすい解説

安世高
あんせいこう
An Shi-gao

[生]?
[没]170頃
中国に来た最初期の訳経者。安息国の太子であったが,出家してアビダルマおよび禅経に非常に深い学識をもっていたといわれ,建和2 (148) 年頃洛陽に来,のち約 20年間にわたり三十余部の経典類の翻訳に従事。おもな訳出経典『四諦経 (したいぎょう) 』『転法輪経 (てんぼうりんぎょう) 』『八正道経 (はっしょうどうきょう) 』など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の安世高の言及

【湖】より

…だが神の機嫌をそこなうと,船が顚覆するなどのたたりがあり,そのため,湖中に人身犠牲がささげられることさえあった。後漢時代に中国に渡来した西域僧である安世高の伝記には,かつて安世高とともに仏道修行にはげんでいたものが大蛇に姿をかえたのが廟神の正体であるといい,安世高に絹1000匹と宝物のかずかずを喜捨して悪形から抜けだすことをもとめて以後,霊威はなくなったと伝える。しかし,六朝時代においても,宮亭湖廟神に関する伝説はとぼしくない。…

※「安世高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」