安井仲治(読み)やすいなかじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安井仲治」の意味・わかりやすい解説

安井仲治
やすいなかじ
(1903―1942)

写真家大阪市生まれ。1920~30年代日本の写真表現におけるモダニズム興隆期の代表的作家。14歳ごろから写真を撮りはじめる。1921年(大正10)、大阪明星商業学校を卒業後、家業である安井洋紙店に勤務。22年、当時の関西アマチュア写壇における主導的な団体だった浪華(なにわ)写真倶楽部の第11回展に写真作品「分離派の建築と其(その)周辺」を出品し、同年同倶楽部へ入会。25年の第14回浪華写真倶楽部展に出品した「猿廻しの図」で優選賞を受けるなど、新進の写真家として早くから頭角をあらわした。初期の作品ではブロムオイル法(ゼラチン・シルバー・ブロマイドの写真印画を化学的処理で漂白し、印画紙上の硬化したゼラチン膜を油性顔料で着色する技法)などの絵画主義的な印画技法をしばしば用い、大正期日本の芸術写真家たちの間で流行していたソフト・フォーカスの描写を基調とする表現を追求するとともに、スナップショットで近代都市に息づく動感をとらえる新しい試みにも意欲的に取り組んだ。28年(昭和3)には、梅阪鶯里(おうり)(1900―65)ら関西圏で活動する数名の写真家と銀鈴社を結成、30年まで3回にわたってグループ展を催した。また、晩年まで親交を結ぶことになる写真家上田備山(びざん)(1888―1984)らが30年に創設した丹平(たんぺい)写真倶楽部に、結成より少し遅れて参加した。

 31年に朝日新聞社の主催により東京と大阪で公開された「独逸(ドイツ)国際移動写真展」(29年にドイツのシュトゥットガルトで開催された「映画と写真」展の一部を巡回)で、マン・レイモホリ・ナギその他多数の欧米の作者による同時代の実験的な写真作品に接し、大きな衝撃を受ける。それを契機として、安井はフォトモンタージュクローズ・アップ、抽象的構成などの手法を積極的に試みるようになり、当時の日本で「新興写真」と呼ばれたモダニズムの新しい流れを牽引する作風を繰り広げていった。安井の1930年代の作品には、メーデーのデモを撮った「旗」(1931)や朝鮮人集落を取材したルポルタージュ(1939ころ)に見られる社会的現実への関心と、住友金属の依頼で撮影した「磁気」シリーズ(1939ころ)などに示された物質への鋭い凝視のアプローチとが併存していた。

 41年椎原治(1905―74)ら丹平写真倶楽部のメンバーと共に、ポーランドからの亡命ユダヤ人たちを神戸で取材し、「流氓(りゅうぼう)ユダヤ」シリーズを撮影。翌年、腎不全のため38歳で没した。

[大日方欣一]

『『安井仲治――モダニズムを駆けぬけた天才写真家』(1994・新潮社)』『『日本の写真家9 安井仲治』(1999・岩波書店)』『上田備山編・刊『安井仲治遺作集』(1941)』

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20世紀日本人名事典 「安井仲治」の解説

安井 仲治
ヤスイ ナカジ

大正・昭和期の写真家



生年
明治36(1903)年12月15日

没年
昭和17(1942)年3月15日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
明星商〔大正10年〕卒

経歴
家業の安井洋紙店経営の傍ら、大正11年日本最初の写真団体である浪華写真倶楽部(明治37年創立)に入会して写真活動に入る。昭和2年米谷紅浪、梅阪鶯里らと銀鈴社を結成。5年上田備山らと丹平写真倶楽部の創設に参加、備山とともに関西写壇の指導的地位にあった。代表作には上海で取材した「さまよえるユダヤ人」や、「犬」などのシリーズがある。没後「安井仲治作品集」(17年)が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「安井仲治」の意味・わかりやすい解説

安井仲治 (やすいなかじ)
生没年:1903-42(明治36-昭和17)

関西の代表的なアマチュア写真作家。大阪市に生まれ,1922年(大正11)に〈浪華(なにわ)写真俱楽部〉に入会する。多くの写真展に入賞して,芸術写真家として名前を知られる。1930年代には〈新興写真〉の強い影響を受け,より内面的に深化した表現を確立した。代表作《唄ふ男》(1931),《病める犬》(1934),《磁気》(1940)などは,その凝縮した精神性において,第2次大戦前の日本の写真家による最も傑出した作品群である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安井仲治」の意味・わかりやすい解説

安井仲治
やすいなかじ

[生]1903.12.15. 大阪
[没]1942.3.15. 大阪
大正末期,昭和初期の写真家。当初は絵画的写真に傾倒していたが,次第に新興写真に影響されてリアリズム的作風に転換し,『メーデー』 (1931) ,『飛沫』 (33) ,『犬』 (34) ,『3人』 (41) など,軍国主義下の社会現象を心象的なリアリズムで追究する佳作を残した。また 1930年に丹平写真倶楽部を設立し,関西のアマチュアに大きな影響を及ぼした。第2次世界大戦後,リアリズム派の先駆者として再評価された。

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百科事典マイペディア 「安井仲治」の意味・わかりやすい解説

安井仲治【やすいなかじ】

写真家。大阪生れ。家業の洋紙店に勤めるかたわら,写真を独学で始める。1923年,浪華写真倶楽部に入会,以降アマチュア写真家として関西を中心に活動,1928年から1930年にかけては,同志とともに銀鈴社を結成し積極的に作品を発表する。写真理論家としてもすぐれており,関西の写真界に重要な足跡を残す。柔軟な視線による幅広いスタイルをもつ作品は,同時代の写真家の作品にも例がなく,ユニークな存在として評価されている。代表作に,戦中に神戸に寄留したユダヤ人を撮った《流氓ユダヤ》(1941年)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井仲治」の解説

安井仲治 やすい-なかじ

1903-1942 大正-昭和時代前期の写真家。
明治36年12月15日生まれ。大正11年大阪の浪華(なにわ)写真倶楽部(クラブ)に入会。おおくの写真展に入賞する。昭和5年上田備山らと丹平(たんぺい)写真倶楽部を創立,関西写真界で若手をそだてた。昭和17年3月15日死去。40歳。大阪出身。明星商業卒。作品に「水」「犬」「流氓(りゅうぼう)ユダヤ」など。

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世界大百科事典(旧版)内の安井仲治の言及

【前衛写真】より

…このような動きはとくに〈浪華俱楽部(なにわクラブ)〉や〈丹平(たんぺい)俱楽部〉〈アシヤカメラクラブ〉などに所属する関西のアマチュア写真家たちを中心にして展開された。小石(こいし)清,安井仲治(なかじ),中山岩太(いわた)らはその動きの中心であった。この当時〈前衛〉とよばれた写真家たちは,モンタージュコラージュ,多重露光,フォトグラムなどのテクニックを駆使して,幻想的な傾向の作品を生みだしたばかりではなく,安井仲治の写真のように強い主観性に根ざしたリアルでストレートな写真をも生み出していった。…

※「安井仲治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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