安保郷・安保氏館(読み)あぼごう・あぼしやかた

日本歴史地名大系 「安保郷・安保氏館」の解説

安保郷・安保氏館
あぼごう・あぼしやかた

神流かんな川右岸の現神川町元阿保もとあぼ一帯に比定され、丹党安保氏の本貫地とされる。元阿保村付近には安保氏の館跡とみられる遺構や推定地が複数みられ、その南方八日市ようかいち植竹うえだけ肥土ひど付近を中世の鎌倉街道上道が通っていた。丹党系図(諸家系図纂)によると、新里丹三大夫恒房の子実光が安保刑部丞を称している。寿永三年(一一八四)二月摂津国に至った源範頼・義経の軍勢のなかに安保次郎実光が入っているように(「吾妻鏡」同月五日条)、実光は治承・寿永の内乱や文治五年(一一八九)の奥州合戦で活躍するが、承久の乱に際して承久三年(一二二一)六月一四日の山城宇治橋合戦で討死した(同書同月一八日条)。実光の子実員は承久の乱の勲功として播磨国須富すとみ(現兵庫県加西市)や近江国箕浦みのうら(現滋賀県近江町)内一所などの地頭職を得たとみられ(寛喜三年八月二一日「藤原頼経袖判下文案」八坂神社文書など)、短期間ながら播磨国守護にも任じられたらしい。その後、実員の子息泰実と信員の二流は武蔵国を基盤として勢力を拡大した。なお安保文書は県指定文化財として三七点が県立文書館に所蔵されているほか、二一点が横浜市立大学図書館に所蔵される。

〔安保郷〕

「風土記稿」大里郡久下くげ(現熊谷市)の項によると、同村東竹とうちく院の嘉禄三年(一二二七)五月日の年紀をもつ鐘銘に「武州賀美郡阿部村真光寺鐘」とある。真光しんこう寺は現在の元阿保に隣接する上里かみさと大御堂おおみどう吉祥きちじよう院の寺号で、この梵鐘は同院の旧鐘とされることから、阿部村は安保村の誤記とみられる。安保氏は吉祥院を中興したと伝え、一説に安保実光が開基ともいう。前掲寛喜三年(一二三一)の藤原頼経袖判下文案では、前記のほか「武蔵国賀美郡安保郷内別所村」の地頭職が亡父実員の例に任せて安保信員に安堵されている。信員は成田なりた(現熊谷市)の成田家資の女子を妻とし、その子孫は成田氏の名跡を継ぐかたちで成田姓を名乗るようになる(文保二年一二月二四日「関東下知状」安保文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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