デジタル大辞泉
「安撫使」の意味・読み・例文・類語
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あんぶ‐し【安撫使】
- 〘 名詞 〙 中国の官名。中唐から宋初にかけては、災害などのあるごとに派遣されて民政を視察した。宋の真宗からは、はじめ辺境地域に、のち全国の路(地方行政区画)に常置され、副使は軍制をつかさどった。
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安撫使
あんぶし
an-fu-shi; an-fu-shih
中国,北魏から清まで存在した官名。時代により変化があり,隋,唐初では征討の将軍が兼任し,中唐,宋初では災害救済や辺境の用兵に派遣された節度使兼任の臨時官であった。北宋中期からは,初め辺境,のちには路 (ろ。最高の行政区画) ごとに常置の官となり,文官の知府,知州 (府,州の最高官) が兼任し,兵民の政を司った。金はほぼこの制をまね,元では辺境のみに置かれ,その配下に現地人を採用したことから,明,清では土司の一名称となり,中国南西部の蛮夷の首長に授けられ,その世襲を認めた。
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安撫使
あんぶし
旧中国の官職名。隋(ずい)代に始まり、もと臨時に地方に派遣され、軍民の事をつかさどる大官に与えられた肩書であったが、宋(そう)代に入って普遍化し、路(行政区域)の軍事長官が帯びる職名の一種となり、経略使よりも重く、さらに重い大官は安撫大使と称した。明(みん)・清(しん)時代では一転して辺境の異民族自治区の長に与える官名となり、同じ性質の宣慰使、宣撫使よりも位が低く、招討使と同格で、長官司長官よりも高かった。
[宮崎市定]
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