安曇江(読み)あずみえ

日本歴史地名大系 「安曇江」の解説

安曇江
あずみえ

難波なにわにあった入江または水路の一つ。「続日本紀」天平一六年(七四四)二月二二日条に、難波に行幸した聖武天皇が「幸安曇江覧松林」とある。安曇江に関連するのは「日本書紀」白雉四年(六五三)五月条の分注に「僧旻法師、阿曇寺に臥病す」とみえる記事である。「阿曇寺」は「安曇寺」と同じであるが、「摂津志」ではその所在地を安堂寺あんどうじ(現南区)とし、「大日本地名辞書」はその説を受けて安曇江を「安曇寺」のあった安堂寺町の近くに求め、東横堀ひがしよこぼり川の旧名であろうとする。しかし安曇江は、大治五年(一一三〇)三月一三日の東大寺諸庄文書并絵図等目録(百巻本東大寺文書)所引の天平勝宝二年(七五〇)四月一二日付の民部省符に、新羅江しらぎえ庄の四至として「東安曇江 南堀江 西百姓家 北松原」とみえ、別な推定も可能である。

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百科事典マイペディア 「安曇江」の意味・わかりやすい解説

安曇江【あずみえ】

古代難波(なにわ)の入江。海部(あまべ)の伴造(とものみやつこ)阿曇(あずみ)氏の居住地であったことによる名称であろう。《続日本紀》によると天平16年(744)2月,難波に滞在中の聖武天皇が安曇江に行幸(ぎょうこう)している。位置は750年の新羅江(しらぎえ)庄の文書に〈東安曇江 南堀江〉とあることから大阪市内を流れる東横堀(ひがしよこぼり)川説,京都市山科区安祥(あんしょう)寺の鐘銘に〈渡辺安曇寺〉とあることから淀川天満(てんま)橋(大阪市北区・中央区)付近説,1886年の大阪実測図に〈アドエ〉の字名のあることから北区野崎町付近とする説,地名の転化とみて中央区安堂寺町付近とする説などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「安曇江」の意味・わかりやすい解説

安曇江 (あずみえ)

古代難波(なにわ)の地名。744年(天平16)2月,難波に滞在していた聖武天皇が安曇江に行幸したことが《続日本紀》にみえ,新羅江荘(しらぎえのしよう)に関する750年(天平勝宝2)4月の文書の四至記載の東に〈安曇江〉とある。その位置は明確でなく,大阪市中央区安堂寺町の名を安曇寺の転化としてその付近とする説,京都山科の安祥寺所蔵の鐘銘に〈渡辺安曇寺〉とあることにより,淀川の天満橋上流付近とする説,1886年の大阪実測図に〈アドヱ〉の地名がみえることから,北区野崎町付近とする説など,諸説がある。
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