伴造(読み)トモノミヤツコ

デジタル大辞泉 「伴造」の意味・読み・例文・類語

とも‐の‐みやつこ【造/部】

(伴造)大化前代、職能をもって朝廷に仕えたとも統率・管理した者。のちに制度が成立すると部の管理者と考えられるようになる。
伴部)⇒伴部ともべ

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改訂新版 世界大百科事典 「伴造」の意味・わかりやすい解説

伴造 (とものみやつこ)

大和朝廷を構成する諸氏族の首長をいう。〈ばんぞう〉ともいう。伴(とも)は〈友〉であると同時に〈供〉をも意味し,朝廷を代表する大王に奉仕・従属する集団を指すことばで,造はそのかしらの意。日本では,7世紀後半に律令制による国家が成立したが,それに先立つ5~6世紀を中心とした時代は,諸氏族に朝廷の職務を分担させる体制で運営された(氏姓制度)。

 伴造は広義にはその氏族を統轄する首長すべてを意味した。その場合には上位と下位2段階の伴造がふくまれる。たとえば,宮廷の神事・祭祀をつかさどる忌部(いんべ)氏は,上位の伴造は忌部連(むらじ)といい,下位のそれは忌部首(おびと)という。彼らは全国におかれた忌部を名のる部民集団を統轄して,必要物資を貢納させるほか,ときには賦役も徴用し,朝廷の職務を遂行した。また忍壁(おさかべ)連-刑部(おさかべ)造は全国の刑部を統轄して,宮廷の雑用,警備,食膳調達などを担当した。ここにみられるように,伴造のカバネ()は連,首,造(みやつこ)が一般的なものである。

 伴造は狭義には,上位の連のカバネを有するものをのぞいたものを称した。《日本書紀》には,雄略2年以後天武5年までのあいだ,朝廷の有勢者一般を表す慣用句として臣(おみ)・連・伴造・国造(くにのみやつこ)がつかわれる。この場合の伴造は,臣・連(蘇我,巨勢(こせ),大伴物部などの朝廷有力氏族)をのぞいている。ことに連姓氏族を除外している点が注意され,さきの事例でいうと上位の忌部連,忍壁連は伴造にはいらないことになる。したがって名代・子代(なしろこしろ)系の伴造としては,刑部造,檜隈舎人(ひのくまのとねり)造などがこれに相当し,そのほかの伴造としては葛野県主(かどののあがたぬし)や鴨直(かものあたい)などの大王の身辺につかえる畿内の伝統的な氏族,秦(はた),漢(あや)などの渡来氏族,錦部造,鍛冶造,馬飼造,服部造などの生産系統の渡来氏族などがある。

 伴造はまたさきの慣用句にもみられるように,臣・連に対しては国造とならび称される。国造は地方にあって〈くに〉(後世の郡程度の領域)を統治することを任務づけられた豪族であり,伴造とはその職務内容を異にするが,臣・連に対するときは同程度の身分を表しており,これによって狭義の伴造の社会的地位をうかがうことができよう。

 伴造はまた律令体制下では下級の実務官僚として位置づけられ,四等官の下位に一部伴部(ともべ)という官職が設けられたが,伴造はそれに多く編入された。
伴部
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伴造 (ばんぞう)

伴造(とものみやつこ)

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百科事典マイペディア 「伴造」の意味・わかりやすい解説

伴造【とものみやつこ】

大和朝廷に世襲的職掌をもって仕えた諸集団の首長。〈ばんぞう〉とも。連(むらじ)・首(おびと)・造などの(かばね)をもつ。律令体制のもとでは上級伴造は貴族化し,下級伴造は官司の伴部(ともべ)として品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)を指揮
→関連項目安曇江海部氏上大連氏姓制度

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伴造」の意味・わかりやすい解説

伴造
とものみやつこ

伴緒 (とものお) と同義語と思われる。大化改新前に皇室所有の部 (べ) ,すなわち品部 (ともべ) ,名代子代を率い,その職業によって朝廷に奉仕した中央の中下層の豪族。その姓 (かばね) は (みやつこ) , (おびと) , (むらじ) が普通である。しかし,大伴,物部両氏のように大連となって朝政を左右する豪族にまで発展したものもある。このような伴造のうち,有力なものは令制のもとにあって,一般貴族に名を連ね,他は令制の下級官人に編成され,律令諸官司の品部,雑戸を率いて,朝廷に奉仕するようになった。 (→伴部 )

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伴造」の意味・わかりやすい解説

伴造
とものみやつこ

大和(やまと)王権のもとで世襲的職掌をもって奉仕する「伴(とも)」集団を管掌する中央の首長をいう。その多くは中・下級の首長で、姓(かばね)は連(むらじ)、造(みやつこ)、首(おびと)などが中心を占める。トモは大王の従者(供(とも))であり、それら一団の人々(友・朋(とも))をも意味した。ミヤツコも本来は大王の身内的な従者(御家(みや)つ子(こ))をさしたが、身分差が生じて、伴造は「伴」集団を統率・管掌する首長クラスをいうようになった。

[関 和彦]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伴造」の解説

伴造
とものみやつこ

大和政権において伴(とも)や部(べ)を領有・管理し,朝廷の職務を分掌した官人。「臣連伴造国造百八十部」と称され,臣(おみ)・連(むらじ)につぐ地位を占めた。大伴連・物部連・中臣連など連は上級の伴造ともいうべきものであるが,一般に伴造というと,それ以下の身分である忌部首(いんべのおびと)・玉作造(たまつくりのみやつこ)・秦造(はたのみやつこ)・漢直(あやのあたい)などをさす。忌部首は紀伊・阿波などの諸国の忌部を統轄し,朝廷に必要な物資をださせた。「日本書紀」欽明元年8月条に,秦人の7053戸を戸籍につけ,秦大津父(おおつち)を秦伴造としたとあり,伴造の勢威をうかがうことができる。律令制下に各官司では伴部―品部・雑戸の関係がみられ,伴部を伴造とも称したのは,大和政権の伴造の名残であろう。

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旺文社日本史事典 三訂版 「伴造」の解説

伴造
とものみやつこ

大化前代,中央の中小豪族
姓 (かばね) は首 (おびと) ・造 (みやつこ) ・連 (むらじ) が多い。大和政権や大王家の部民 (べのたみ) である品部 (ともべ) ・子代・名代の民を世襲的に統率。みずからも部民・田荘 (たどころ) を所有し,なかには大伴氏や物部 (もののべ) 氏のように大豪族に成長したものもある。忌部首 (いんべのおびと) ・錦織部連 (にしごりべのむらじ) などの職業を有する部民を統率。大化の改新以後,有力者は貴族となったが,多くは下級官人である伴部 (とものみやつこ) ( (ともべ) )となり品部 (しなべ) ・雑戸 (ざつこ) を率いた。

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世界大百科事典(旧版)内の伴造の言及

【伴造】より

…日本では,7世紀後半に律令制による国家が成立したが,それに先立つ5~6世紀を中心とした時代は,諸氏族に朝廷の職務を分担させる体制で運営された(氏姓制度)。 伴造は広義にはその氏族を統轄する首長すべてを意味した。その場合には上位と下位2段階の伴造がふくまれる。…

【国造】より

…古代の地方官豪族。大化前代の国造(氏姓国造)は,5~6世紀にわたって伴造(とものみやつこ)との対応で制度化されたと考えられる。伴造が職能集団の宰領者であるのに対し,国造は(くに)と呼ばれる地域の支配者で,古い形の地方長官ともいえる。…

【軍制】より

…大和政権は周辺の中小豪族を伴(とも)として朝廷の職務を分掌せしめたが,そのなかには門守(かどもり)として朝廷守衛の任にあたる建部(たけるべ)等の諸氏があった。伴の組織が発展すると伴を統轄する伴造(とものみやつこ)が生まれ,大伴(おおとも)氏,物部(もののべ)氏等が武門の伴造として台頭した。大和政権から異民族視された隼人(はやと),蝦夷(えみし)などの武力は,朝廷の機構のなかでそれほど大きな位置を占めるものではなかった。…

【氏姓制度】より


[政治制度としての氏姓制度]
 このような制度は,原始共同体において,氏族や部族が社会の単位となった,いわゆる氏族制度とは異なる。もちろん,氏姓制度の基盤も,血縁集団としての同族にあったが,それが国家の政治制度として編成しなおされ,同族のなかの特定のものが,(おみ),(むらじ),伴造(とものみやつこ),国造(くにのみやつこ),それに百八十部(ももあまりやそのとも)などの地位をあたえられ,それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。その成立時期は,おそらく5,6世紀をさかのぼらないであろう。…

※「伴造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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