コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安東省庵 あんどう せいあん

8件 の用語解説(安東省庵の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

安東省庵

江戸前期の儒者。筑後生。名は守約、字は魯黙、通称を市之進、別号に恥斎。京都で松永尺五に儒学を学び、帰藩して藩侯の侍読となる。明の儒者朱舜水が長崎に亡命した折師事し、俸禄の半分を贈って援助した。伊藤東涯に「関西の巨儒」と称せられる。『霞池省庵手簡』『三忠伝』等を著す。元禄14年(1701)歿、80才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あんどう‐せいあん【安東省庵】

[1622~1701] 江戸前期の儒学者。筑後の人。名は守約(もりなり)。別号恥斎。松永尺五(まつながせきご)朱舜水(しゅしゅんすい)に師事。著「省庵先生遺集」「恥斎漫録」。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安東省庵 あんどう-せいあん

1622-1701 江戸時代前期の儒者。
元和(げんな)8年1月18日生まれ。安東侗庵(とうあん)の父。京都で松永尺五(せきご)にまなび,帰郷して筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)藩主の侍読となる。明(みん)(中国)の朱舜水(しゅ-しゅんすい)が長崎に亡命してきたとき,師とあおぎ,経済的にも援助した。元禄(げんろく)14年10月20日死去。80歳。名は守正,守約(もりなり)。字(あざな)は魯黙。通称は市之進。別号に恥斎。著作に「三忠伝」「恥斎漫録」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

安東省庵

没年:元禄14.10.20(1701.11.19)
生年:元和8.1.18(1622.2.28)
江戸前期の儒学者。名は守約,字は魯黙,省庵は号。筑後(福岡県)柳川藩士の子として生まれ,京都で松永尺五から朱子学を学び,帰藩して藩儒となる。明の儒者朱舜水が長崎に亡命した折,師事し,その窮乏に対して,俸禄の半分を贈って援助した。伊藤東涯は,彼を「関西の巨儒」と評した。『学蔀通弁』に訓点を施して上梓したほか,著書としては,『初学心法』『理学要抄』,『三忠伝』(全2巻)などがあり,また『省庵先生遺集』(全12巻)がある。<参考文献>安東省庵記念会編『安東省庵』

(柴田篤)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あんどうせいあん【安東省庵】

1622‐1701(元和8‐元禄14)
江戸初期の儒者。名は守約。字は魯黙。通称は市之進。筑後柳川の人。青年時に京都に出て,松永尺五に朱子学を学び,のち柳川藩に儒官として仕えた。1655年(明暦1)明の朱舜水が長崎に渡来したとき,だれもかえりみなかったが,省庵のみはその学徳を知って師事し,自己の俸禄200石の半分を割いて舜水の生活を援助したことで知られる。儒者としての活動にとくに見るべきものはないが,漢詩文に関心が深く,その面で伊藤仁斎・東涯と交わり,作品が《搏桑名賢文集》(1698),《搏桑名賢詩集》(1704)に収録される。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あんどうせいあん【安東省庵】

1622~1701) 江戸前期の儒学者。筑後の人。名は守約、別号を恥斎。柳川藩儒。松永尺五らに学ぶ。長崎に亡命してきた明の遺臣朱舜水に師弟の礼を執り、経済援助をした。著「省庵先生遺集」など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安東省庵
あんどうせいあん

[生]元和8(1622).1.18.
[没]元禄14(1701).10.20.
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。筑後柳川藩儒。松永尺五,朱舜水に学ぶ。著書『初学心法』『答初学問』『理学要抄』。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安東省庵
あんどうせいあん
(1622―1701)

江戸前期の筑後(ちくご)国柳川(やながわ)藩(福岡県)の儒学者。元和(げんな)8年1月18日生まれ。名は守約(もりなり)。字(あざな)は魯黙(ろもく)、子牧(しぼく)、別号は恥斎(ちさい)。京都に遊学して松永尺五(まつながせきご)に学び、帰国後、侍読(じどく)として藩侯に仕えた。中国清(しん)朝の成立に伴い、明(みん)の儒学者朱舜水(しゅしゅんすい)が長崎に亡命したとき、いち早くその学徳を慕って師事しひたすら学問を楽しむ高誼(こうぎ)を結んだ。異国に困窮していた舜水のために薄俸のなかばを割いて贈るなど、周囲の嘲(あざけ)りを顧みずにこれを助けた。高潔な徳と学問が世に聞こえて当時「関西の巨儒」と称せられた。元禄(げんろく)14年10月20日80歳で没。著書に『省庵先生遺集』12巻、『恥斎漫録』などがある。[黒住 真]
『柳川市史編集委員会編『安東省菴集』影印編1~3・翻字編・書簡編(2002~2015・柳川市) ▽安東省庵記念会編『安東省庵』(1913・安東省庵記念会事務所) ▽松野一郎著、西日本人物誌編集委員会編『安東省菴』(1995・西日本新聞社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

安東省庵の関連キーワード亀井南溟中野龍田奥田桐園春斎三宅錦川三宅擔庵皆川善越智高洲五井鶴城山県洙川

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone