宍道郷(読み)しんじごう

日本歴史地名大系 「宍道郷」の解説

宍道郷
しんじごう

現宍道地域にあった国衙領。建長元年(一二四九)六月日の杵築大社造営所注進状(北島家文書)に「完道郷」とみえ、宝治二年(一二四八)に行われた杵築大社(出雲大社)の遷宮式で流鏑馬一五番のうち一二番を勤めた建部たけべ(現斐川町)などとともに記され、同じく相撲一〇番を勤めた郷の一つとして「完道郷 一人」とみえる。当郷は古代の意宇おう郡宍道郷の一部を開発するなどして、一一世紀中頃に新しく出雲国衙からその領有権を認められ成立したもの。国衙の在庁官人などによって開発されたと推定されるが、おそらく承久の乱に際して京方(後鳥羽上皇方)に荷担して所領を没収されてしまったのであろう。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳では七番に「完道郷三十八丁八反三百歩成田四郎」とあり、武蔵国成田なりた(現埼玉県熊谷市など)出身の西遷武士成田氏が地頭であった。成田氏は当郷のほか来海きまち庄や能義のぎ坂田さかた郷・中須なかず(現安来市)などの地頭も兼ねており、出雲国内における中心は当郷と来海庄にあった。南北朝期になると成田氏による支配は困難に直面したようで、正平一四年(一三五九)五月三日成田七郎左衛門尉跡の当郷南方が足利直冬によって石見益田氏に与えられた(「中務大輔某預ケ状」益田家文書)


宍道郷
しんじごう

和名抄」高山寺本・名博本は宮道、東急本・元和古活字本は完道とあるが、「出雲国風土記」に宍道郷とみえる。諸本とも訓を欠くが、シシジであろう。のち転じたと考えられる。風土記によれば、意宇郡一一郷のうちで郡家の西三七里余に郷長の家があり、所造天下大神命が狩猟をした際にししと犬がそれぞれ石像になったとされ、地名はこの所伝に由来するという。現宍道町西部の白石の石宮はくいしのいしのみや神社ではこの石像であるという猪石二個を伝え、犬石を神体としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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