朝日日本歴史人物事典 「宗貞茂」の解説
宗貞茂
生年:生年不詳
室町時代の武将。対馬守護。刑部少輔,讃岐守。法名正永(昌栄)。『宗氏家譜』など江戸時代の史書では父を頼茂とするが,同時代の朝鮮側の史料によると,父は霊鑑(法名)とある。応永5(1398)年に庶流仁位宗氏の頼茂から対馬島の支配権を奪い,守護となった。ところが同8年,貞茂の九州在陣中に,仁位宗氏の賀茂が反乱を起こし島の支配権を奪ったため,翌年対馬に帰り反乱を鎮圧,島の支配権を奪い返した。また,朝鮮と活発に通交を行い,倭寇の取り締まりにも力を入れた。太宗14(1414)年に朝鮮が,日本国王(足利氏)など10カ所の使者以外の渡航を許さないことを決めたとき,その旨を日本各地に伝えたのも貞茂であった。宗氏が日朝間において重要な地位を占める素地は,貞茂の代に作られたといえる。その死に際して,朝鮮は弔慰使をわざわざ対馬に派遣して,これを弔っている。<参考文献>『長崎県史 古代・中世編』
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報