宗貞茂

山川 日本史小辞典 改訂新版 「宗貞茂」の解説

宗貞茂
そうさだしげ

?~1418.4.-

室町時代対馬守護。刑部少輔・讃岐守。法名昌栄(正永)。父は宗霊鑑。1398年(応永5)一族支流で対馬の政権を握っていた仁位(にい)中村宗氏を討って実権掌握。一時は謀反により政権を奪われたが,これを克服し地位を固めた。主家少弐氏をたすけ,九州探題渋川満頼・大内氏抗争。対馬国三根郡佐賀を居所とした。対外的には倭寇禁圧の実績で朝鮮から対日貿易の正式な窓口としての地位を認められ,死後も功績を称えられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宗貞茂」の解説

宗貞茂 そう-さだしげ

?-1418 室町時代の武将
宗霊鑑の子。応永5年仁位(にい)宗氏の頼茂(よりしげ)から対馬(つしま)(長崎県)の支配権をとりもどし守護となる。筑前(ちくぜん)(福岡県)の守護代として守護の少弐(しょうに)氏をたすけ北九州に出兵することがおおかったが,15年本拠を対馬三根郡佐賀にさだめて倭寇(わこう)をとりしまり,朝鮮との関係改善につとめた。応永25年4月死去。

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世界大百科事典(旧版)内の宗貞茂の言及

【対馬島】より

…15世紀に入ると,朝鮮は日本人の渡航先を釜山浦・薺浦・塩浦(三浦(さんぽ))に限るなど,さまざまな統制策をとった。宗氏が朝鮮関係に本格的に登場するのは宗貞茂からで,貞茂は朝鮮に頻繁に使を派し,1408年(応永15)対馬に本拠を移して島内統治と倭寇禁圧に努めた。貞茂没後朝鮮は倭寇再発を危惧し,19年対馬征討の軍を起こした(応永の外寇)が,その後は宗氏を優遇,倭寇禁圧と通交貿易統制に利用する政策をとった。…

※「宗貞茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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