宗鏡寺
すきようじ
        
              
                        宗鏡寺町の東部、入佐山の西麓に位置する。円覚山と号し、臨済宗大徳寺派。本尊は釈迦如来。近世初期の高僧沢庵宗彭(京都大徳寺一五四世、当寺中興開山)縁の寺で、沢庵寺の通称がある。一説に山名氏清(諡号は宗鏡寺殿古鑑衡公大禅定門)の開創とも伝えるが、山名時熙が一族の菩提のために明昶(貞和五年―応永二〇年)を招請、明昶が師の京都東福寺大道一以を開山に勧請して一寺を開いたことに始まるとされる。元和二年(一六一六)出石藩主小出吉英が沢庵の勧めで現在地に再興、旧地は此隅山城の南西麓、宮内の字宗鏡寺であったと考えられる。山名氏の後も前野長康以下歴代の領主の外護を受け、境内には出石藩主小出英安・仙石政辰・仙石久道の廟所がある。天明七年(一七八七)の大徳禅寺派下寺院本末牒では大徳寺塔頭三玄院の所管で、塔頭四ヵ寺のほかに末寺六ヵ寺を有していた。
 
                                                          
     
    
        
    出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
	
    
  
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                    宗鏡(すきょう)寺
        
              
                        兵庫県豊岡市出石町、此隅山(このすみやま)の麓にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は円覚山、本尊は釈迦如来。通称、沢庵寺。
                                                          
     
    
        
    出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
	
    
  
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		世界大百科事典(旧版)内の宗鏡寺の言及
    		
      【出石[町]】より
        
          
      …出石川と支流谷山川が外堀として町を囲み,これに沿って侍屋敷と寺が配置された。16年(元和2)小出吉英が沢庵のために再興した宗鏡(すきよう)寺もあり,名園で知られる。町方人口は,最高が1827年(文政10)の5455人,但馬では随一の町であった。…
      
     
         ※「宗鏡寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 
        
    出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
	
    
  
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