日本歴史地名大系 「富吉村」の解説
富吉村
とみよしむら
福王寺の薬師如来の厨子は享禄三年(一五三〇)三月一二日に檀越の源(野村氏か)忠綱らの手で造られ、天文一〇、一一年には川野氏らが薬師如来の眷属である十二神将を造り、同一〇年には脇侍である日光・月光菩薩が高野氏らの施入で造られており、当時の住持は別当海久であった(同書)。天文一三年の前掲山王棟札写は福王寺鎮守の山王社の造営棟札で、山王社は近世は永留(花木地内か)にあったが、以前は「池ノ谷頭之中尾」にあったと伝える(三俣院記)。
富吉村
とみよしむら
- 宮崎県:宮崎市
- 富吉村
富吉村
とみよしむら
富吉村
とみよしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報