富江(読み)とみえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「富江」の意味・わかりやすい解説

富江
とみえ

長崎県南松浦(みなみまつうら)郡にあった旧町名(富江町(ちょう))。現在は五島市(ごとうし)の南端を占める。旧富江町は1922年(大正11)町制施行、2004年(平成16)福江(ふくえ)市、玉之浦(たまのうら)、三井楽(みいらく)、岐宿(きしく)、奈留(なる)の4町と合併、五島市となる。旧富江町域は、五島列島福江島南部と黒島などの島嶼(とうしょ)からなり、国道384号が通じ、富江港から黒島への航路がある。古くは殿浦(とののうら)または戸島(とのしま)ともいった。五島氏の富江藩(分藩)の城下町。町は、標高20メートル以下の平坦(へいたん)な溶岩台地からなり、台地上に只狩(ただかり)山(84メートル)、番所(ばんしょ)山(65メートル)の火山砕屑(さいせつ)丘がある。台地上は畑作を主とするが、水に乏しいため、1980年(昭和55)北部に繁敷(しげじき)ダム(総貯水量170万トン)を構築、只狩山の山頂にファームポンド(調整水槽)を設けて、台地上に灌水(かんすい)し、畑地では、クワ、牧草、ムギ、サツマイモの栽培が行われ、牧牛も盛んである。漁業は、古くから基地として栄えかつお節や五島珊瑚(ごとうさんご)の特産を有したが、現在かつお節の生産は行われていない。女亀(めがめ)、山崎(やまさき)、坪(つぼ)は倭寇(わこう)漁港ともよばれ、一本釣りを主とし、イセエビ養殖も導入している集落である。各地は西海国立公園(さいかいこくりつこうえん)に含まれ、観光資源として井坑(いあな)(溶岩トンネル)や倭寇にまつわる勘次ヶ城(かんじがしろ)などの遺跡がある。また台地上に連続して分布する円畑(まるばた)(円形の畑)は原初的耕作型を示すものといわれる。富江港近くに温泉センターとキャンプ村がある。

[石井泰義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富江」の意味・わかりやすい解説

富江
とみえ

長崎県五島列島の南部,福江島南部の地域。旧町名。黒島ほか4島を含む。 1922年町制。 2004年8月福江市および玉之浦三井楽岐宿奈留町の1市4町と合併し五島市となった。中心集落の富江は五島藩の支藩富江藩の旧城下町。おもに玄武岩の低平な台地からなる畑作地帯で,かつては五島のサツマイモの主産地。大正から昭和にかけてサンゴ採取とカツオ漁業で栄え,最盛期にはサンゴ採取船 100隻をこえ,かつお節の生産も多かった。現在は沿岸の一本釣り,イセエビの養殖が主。北部の田尾にはろう石鉱山があり,眺望すぐれる只狩山展望台,富江港周辺は西海国立公園に属する。国道 384号線が通じる。

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改訂新版 世界大百科事典 「富江」の意味・わかりやすい解説

富江 (とみえ)

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