寺町廃寺跡(読み)てらまちはいじあと

日本歴史地名大系 「寺町廃寺跡」の解説

寺町廃寺跡
てらまちはいじあと

[現在地名]三次市向江田町 寺町

馬洗ばせん川と国兼くにかね川に挟まれた丘陵の中の狭い谷間、字寺町の水田中にある古代寺院(県指定史跡)。周辺には横穴式石室をもつ後期古墳も多く、西南一・二キロの寺町の谷の入口にも奈良時代前期の基壇をもつ金堂講堂の検出された上山手かみやまて古代寺院跡がある。さらに馬洗川を隔てた南方約二キロの志幸しこう幸利こうりは、地名から三谿みたに郡の郡家所在地と推定されている。

当廃寺は、「日本霊異記」(上巻)の「亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けらるる縁」に

<資料は省略されています>

とある三谷みたに寺とみられており、百済系の軒丸瓦や鴟尾出土する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「寺町廃寺跡」の解説

てらまちはいじあと【寺町廃寺跡】


広島県三次(みよし)市向江田町ほかにある寺院跡。三次盆地東端、標高240mの丘陵上に位置する、白鳳(はくほう)時代から平安時代初期の寺院跡。1979年(昭和54)からの発掘調査により、東に塔、西に金堂、北に講堂を配する法起寺(ほっきじ)式の伽藍(がらん)配置であることが明らかとなった。塔は約11m四方、金堂は東西15.7m、南北13.4m、講堂は東西25.1m、南北14.7mで、いずれも塼(せん)(中国の煉瓦(れんが))積み基壇であった。出土遺物として、素弁蓮華文軒丸瓦(のきまるがわら)などの瓦類、鴟尾(しび)、仏頭などが出土している。とくに軒丸瓦には、「水切り」と呼ばれる削り出しが認められる。備北地域の奈良時代前期(白鳳時代)に建立された寺院として、1984年(昭和59)に国の史跡に指定された。寺町廃寺の素弁の軒丸瓦は百済(くだら)様式のものであることなどから、『日本霊異記』に記された備後三谿(みたに)寺に比定されている。寺院跡の北西約1.2kmのところに、寺町廃寺跡に瓦を供給した大当瓦窯(だいとうかわらがま)跡が確認されている。JR芸備線ほか塩町駅から車で約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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