第1次世界大戦後,オーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊するさなか,新生チェコスロバキア,ユーゴスラビア,ルーマニアの3国間に個別に締結された同盟関係の総称。この呼称はハンガリー人ジャーナリストが1920年に嘲笑(ちようしよう)気味に用いたのが最初とされる。オーストリアとハンガリーによるハプスブルク帝国再建を阻止することを目的として,チェコスロバキアの外相ベネシュが中心となり,ハンガリーの領土回復要求に脅威を感じるユーゴスラビアやルーマニアと相互援助を取り決めるための交渉に入った。その結果,20年8月チェコスロバキアとユーゴスラビア間に,ハンガリーの攻撃に対する相互援助条約が締結された。ついで21年4月チェコスロバキアとルーマニア間に,6月ルーマニアとユーゴスラビア間に同様の相互援助条約が結ばれ,小協商が成立した。小協商は東にソ連,西にドイツと国境を接するポーランドと密接な関係を保ち,22年4月ヨーロッパの経済復興計画を討議するジェノバ会議では一体となって活動し,国際政治上の一勢力として列強にその地位を認識させた。他方,フランスは自国の安全保障確保のため,小協商やポーランドと同盟条約を結び東ヨーロッパに足場を築き,これを現状,すなわちベルサイユ体制維持の一支柱とした。
1930年代に入り現状打破勢力の動きが活発化すると,33年2月に小協商は組織化を目的とする協定を結び,各国外相からなる年3度の常設会議や常設書記局を設置した。しかし,ルーマニアとユーゴスラビアはナチス・ドイツやイタリアによる現状打破の行動に対し,イギリスとフランスが対抗措置をとらないために危機感を強め,しだいにドイツやイタリアとの関係を強めていくこととなった。このため,ミュンヘン会談直前の38年8月,ユーゴスラビアのブレッドで開催された小協商最後の会議で,ドイツからの脅威に直面したチェコスロバキアは他の2国に援助を求めたが,失敗に終わった。同年10月から39年3月にかけ,チェコスロバキアがドイツによって解体させられたことに伴い,小協商も消滅した。
執筆者:柴 宜弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
第一次世界大戦後のチェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニア3国の友好関係をいう。当初、オーストリア・ハンガリー帝国崩壊のなかから生まれた3国の対決的態度をあざけって、ブダペストの新聞『ペスチヒルラップ』(1920年2月21日号)が用いた表現であったが、のちハンガリーやブルガリアに備えるチェコ―ユーゴ(1920.8.14)、チェコ―ルーマニア(1921.4.23)、ユーゴ―ルーマニア(1921.6.7)の防御同盟条約による提携関係を意味するに至った。
小協商は、経済統合にも努め、東欧で独自の存在となったが、とくにその親仏的性格が重要である。当初好意的でなかったフランスは、ポーランド・ソビエト戦争(1920)を契機にポーランドに小協商への接近を促し、自らもポーランド(1921.2)、チェコ(1924.1)、ルーマニア(1926.6)、ユーゴ(1927.11)との同盟関係を確立強化し、この東欧同盟網をヨーロッパ政策の支柱に据えた。しかし、この地域はしだいにドイツへの経済的依存を強め、さらに世界恐慌以後、急速に不安定化した。
東欧ロカルノ案など、ドイツ、ソ連、ポーランドを含む集団安全保障構想が挫折(ざせつ)したのち、これら小国は「宥和(ゆうわ)政策」の犠牲に供され、1939年3月16日ヒトラーのチェコ解体により小協商も崩壊した。
[濱口 學]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
第一次世界大戦後,チェコスロヴァキア,ルーマニア,ユーゴスラヴィアの間に,1920~21年に別々に結ばれた同盟関係の総称。直接にはハンガリーの領土回復に備える目的を持っていたが,同時にドナウ川沿岸諸国の政治経済的結合の意味も持っており,ジェノヴァ会議では一体として動いた。フランスは小協商と結んで東欧に足場を築こうとした。小協商は33年に強化され,定期的に会合する常設理事会を設けるに至ったが,ナチス・ドイツの台頭とフランスの衰退によって,解体した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…協商の事例は19世紀後半から第1次世界大戦前後に多くみられる。イギリス,フランス,ロシアの三国協商(1894年の露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により成立),日仏・日露協約(1907),第1次世界大戦後のチェコスロバキア,ユーゴスラビア,ルーマニアの3国間に締結された小協商など。この英仏露三国協商は,第1次世界大戦が近づくにつれて,実質的に軍事同盟的傾向を強めていった実例である。…
…18年のチェコスロバキア独立とともに外相に就任した。国際連盟の場で,小国の利益を代弁し,連盟の強化を唱えると同時に,パリ平和条約で生み出されたいわゆるベルサイユ体制の維持を目的として,ユーゴスラビア,ルーマニアとの間に小協商と呼ばれる同盟をも結び,さらに列強の中ではフランスとの関係を重視した。35年には大統領に就任したが,38年にナチス・ドイツに譲歩してズデーテンの割譲を認めたミュンヘン協定(ミュンヘン会談)が結ばれると,ロンドンへ亡命した。…
※「小協商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新