日本大百科全書(ニッポニカ) 「小室藩」の意味・わかりやすい解説
小室藩(近江国)
こむろはん
江戸時代、近江(おうみ)国(滋賀県)浅井郡などを領有した藩。譜代(ふだい)。1619年(元和5)備中(びっちゅう)その他で1万2000石余を領有していた小堀政一(まさかず)(正1)が、近江へ転封となり、小室藩をおこした。陣屋を浅井郡小室に置いたのは1649年(慶安2)ごろといわれる。政一、正之(政之)、政恒、政房、政峯(まさみね)、政方(まさみち)と続いたが、1785年(天明5)9月、政方(伏見奉行(ふしみぶぎょう))の悪政を幕府へ出訴した、いわゆる文珠(もんじゅ)九助一件のため、88年5月改易に処せられ、廃藩。小堀初代政一は、茶人、造園家としてもよく知られ、通称遠州(えんしゅう)、号を孤篷庵(こほうあん)、宗甫(そうほ)といった。
[藤田恒春]
小室藩(武蔵国)
こむろはん
関東の穀倉地帯、武蔵(むさし)国足立(あだち)郡小室、鴻巣(こうのす)1万石の領地。初代藩主は関東代官頭(がしら)伊奈忠次(いなただつぐ)で1590年(天正18)入封。小室の要衝に陣屋が設けられ、関東の民政、農政執行の拠点となった。現在の埼玉県伊奈町で、伊奈家屋敷跡が史跡(県指定)として保存されている。1610年(慶長15)忠次が没し、その子筑後守(ちくごのかみ)忠政が後を継いだが18年(元和4)病没、その子忠勝が遺領を相続した。しかし忠勝も翌19年5月9歳で急逝したため改易に処せられ、小室藩は消滅した。幕府は忠次家の滅亡を惜しみ、同年忠勝の弟忠隆に小室郷のうち1100石を与え名跡を継がせた。
[本間清利]
『本間清利著『関東郡代』(1977・埼玉新聞社)』